2012年6月22日金曜日

1000年集合住宅 誕生!:5


最後に、3つめの柱のセキュリティーに関し説明します。

江戸時代の日本の都市はゲイテッド化されていました。
辻に木戸門を設置し、木戸番が治安・防災を担い、町のセキュリティーを確保していました。
右下は三条油小路の地図ですが、左が江戸時代、右が現在のものです。
ほとんど町の外形は変わっておりませんが、江戸時代はこの町の北と南の入り口に木戸門が設置されていました。
町の形を見れば明らかですが、辻向かいで町会を組織し、自治が行われていました。
これはブロック単位でコミュニティーを形成する西洋と全く異なる部分で、日本の街の特徴でもあります。日本では、道路は準パブリックな空間で、コミュニティーで共有する空間のような位置づけだったと考えられます。そういう意味では、日本でパブリックな空間と言えるのは、町から出てしまう事を意味していた事でしょう。
当時、町会が木戸門の建築維持費用、木戸番の賃金を負担していました。
ここからわかることは、非常に住民自治が進んでいたという事です。
町単位で町のルールを町式目として定め、ルールに基づいて住民自治が行われていました。
このような所から、日本は実は伝統的に自治意識の高い国だったことがわかります。
明治維新以後、欧米の列強に対抗する為に国力増強に向けて中央集権的な統治が進められ、公権力介入の妨げとなる木戸門は明治の初期に取っ払われてしまいました。

本計画では、団地単位でセキュリティーを確保し、その運営を団地管理組合に委ねることで自治意識の芽生えを期待したいと考えています。



具体的な方法としては、前面道路に沿って塀を設け、全体敷地外周いセキュリティーラインを設定し、エントランス周りに監視カメラを設置。オートロック、オートゲート、集合郵便受け、宅配ロッカーを採用して、独立性の高い戸建て住宅のような佇まいでありながら、マンション並みのセキュリティーを確保しています。



宇多野コーポラティブハウスの広場と同様、敷地内通路は準パブリック空間として位置づけ、住民間コミュニティーを生みだす装置として設定。
さらに共用灯を設置し、夜間の安全性にも配慮しています。
また、個々の建物には雨戸を設置し、建物単位でも一般道に面している住宅と同様のセキュリティーが確保できるようにしています。




このように、1000年集合住宅というコンセプトを、区分所有法を活用して実現しました。



もし、この事業が日本独自の持続可能な集合住宅実現に向けて、一定の功績を残すことができるとすれば、ソフトとハードの融合によるイノベーションと言えるのではないかと期待しています。


本プロジェクトは既に確認申請も下りて、完成を待つばかりの状況となっておりますが、残念ながら文化庁の指定する「名勝」に位置するため、発掘調査の対象となっており、完成は来春まで待たなければならない状況ですが、本当に完成が楽しみです。

本事業は、阪神淡路大震災をきっかけとして起業したキューブが、震災で顕在化した様々な問題に対処する方法を模索する中で得られた経験の集大成とも言えるものです。
本事業構築にあたって、様々な方々にご相談させていただきました。
最終的なブレークスルーは震災以来、ずっと顧問弁護士としてキューブを支えてきていただいた戎正晴弁護士と議論する中で生まれました。
1000年の都京都において、阪神淡路大震災に向き合ってきた設計者と弁護士が協同してこのようなプロジェクト提案をできた事に対して、非常に感慨深いものがあります。

この事業を通じて得られた経験をさらに応用し、より安全で確実な都市環境実現に向けて活かしていきたいと考えています。











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