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2022年8月10日水曜日

コーポラティブ方式の今とこれからの視点

 NPOコーポラティブハウス全国推進協議会(略称:コープ協)がコーポラティブハウス50周年記念イベント「コーポラティブのこれまでとこれから」という連続シンポジウム(全6回)を開催しております。8月6日に開催された第6回シンポジウムでお話した「コーポラティブハウス いま、これから」の内容を紹介させていただきます。多数発表者がおり、10分程度と、かなり限られた時間の中での発表だったので、非常に駆け足の紹介になっておりますことを予めご了承ください。

 連続シンポジウム「コーポラティブのこれまでとこれから」

前回は、今までの私共の取り組み全般の概要をご紹介させていただきましたが、今回は個別の事業毎に、私共がどのように事業を構築しているか、その枠組みについてご紹介させていただきたいと思います。

 株式会社キューブが最初に取り組んだコーポラティブハウスは「スクウェア六甲」です。

スクウェア六甲は震災で被災した従前長屋4件の等価交換による共同化事業です。

竣工は1999年2月。立地は震災で大きな被害を受けたJR六甲道から徒歩5分。一つ西側のブロックからは震災復興の大規模な区画整理事業が行われています。

敷地面積は257㎡で近隣商業地域。鉄筋コンクリート造の地上8階建てで住宅11戸、店舗1戸からなる建物です。

 従前土地評価額は約200万円/坪で、募集価格は平均坪単価約165万円で、取得目安価格が約2600万円~4500万円の事業です。

事業の枠組みとしては従前長屋の共同建て替え事業です。

本事業では当該地に継続して居住を希望する地主は等価交換により相当の床を取得し、転出を希望する地主は土地売却費として約3000万円を取得しました。

次に取り組んだコーポラティブハウスは「塚口コーポラティブハウス」です。

「塚口コーポラティブハウス」は関西初のスケルトン定期借地権事業です。

定期借地権の等価交換により、地主は資金投下0で年間収益約1000万円を確保する事業となりました。

竣工は2000年6月。立地は阪急塚口駅から徒歩4分、敷地面積は約660㎡あります。

第一種中高層住居専用地区にあり、鉄筋コンクリート造地上6階建て、住宅11戸店舗1戸の建物です。

土地評価の1/2を超える権利金を設定することにより、立体買換えの特例により権利金を等価交換し、72坪の店舗床を無償取得、地代収入約22万円/月の収益性を生み出しました。

募集価格は平均坪単価約125万円(権利金含む)で、取得目安価格が約2600万円~3300万円で、地代は戸当たり約2万円/月となっています。

 このプロジェクトの特徴的な事業の枠組みは、弊社の顧問会計士と共同開発した定期借地の等価交換です。

本事業で地主は1階に約240㎡の診療所の床を無償で取得されました。

診療所は月額坪1万円程度で貸し出され、月額70万円以上の収入が見込まれます。

本事業では地代収入として月額20万円程度が得られるので、併せて投下資金0で年間1000万円を超える収益が確保できます。

入居者は管理会社に管理業務を委託しており、地代徴収等の業務は管理会社の業務となる為、地主は出納管理の必要もありません。

 「シェヌーア御影」は従前地権者4戸の共有地で、2戸の権利解消し、2戸と等価交換事業を行いました。1フロア1戸又は2戸の計画とし、独立性及び開放性を確保するようにプランニングしています。

竣工は2002年6月で阪急御影駅徒歩5分の立地。敷地面積は約326㎡です。

第二種中高層住居専用地域に鉄筋コンクリート造地上8階建てで住宅10戸の計画となっています。

土地価格は坪単価約150万円で、取得目安価格は3500万円から7200万円、坪単価約170万円でした。

この事業では、先代が建てた老朽化賃貸マンションの、相続で発生した親族の共有関係を事業を通じて解消しています。

本事業で当該地に継続して居住を希望する地主は相当の床を取得し、転出を希望する地主は土地売却費として約4000万円を取得されました。

等価交換事業において、交換差金は売却資金の2割を超えない範囲で取得することができますが、譲渡所得として課税されます。また、床取得にあたっては追加資金を入れることも可能です。


「 デュプレックス宝塚千種」は極端な変形地における事業です。

4m接道の旗竿敷地で北側斜面に中庭型のメゾネット及びトリプレット住戸を並列して計画しました。

竣工は2002年3月。立地は阪急今津線小林駅徒歩1分で、約562㎡の敷地面積です。

第一種低層住居専用地域で、鉄筋コンクリート造地上2階地下1階建ての住宅6戸です。

土地価格は坪単価約40万円で、取得目安価格は約4000万円で坪単価約140万円でした。


 見ての通り、接道4mで北斜面の旗竿敷地で、駅に近く閑静な住宅地に位置しますが、非常に土地利用の難しい土地です。

ここに、各住戸に中庭を設けることにより、独立性と開放性の高い住宅を実現しました。

竣工写真を見ていただくと、住戸の独立性と開放性をご確認いただけると思います。

 「アンビエンテ北野」は北野町山本通都市景観形成地域内の事業です。

2項道路に約8mしか接道しない、約526㎡の東西に細長い変形敷地でした。

竣工は2004年5月で新神戸駅から徒歩5分に位置します。

第二種中高層住居専用地域に鉄筋コンクリート造地上4階建てで住宅8戸事務所1戸の計画です。この事務所1戸は株式会社キューブが事務所として利用しています。

土地価格は坪単価約60万円で、募集価格は平均坪単価が約150万円で、取得目安価格が約2600万円から5100万円でした。

 この土地は神戸は北野町の異人館街の真っ只中に位置する、42条2項道路に8mしか接道しない極端に東西横長の変形地でした。

そこに、1フロア1戸から3戸を配置し、前面道路から来る許容容積160%をほぼ使い切る、土地のポテンシャルを100%引き出すプランニングを行いました。

 

このプロジェクトでの取り組みは業界紙でも紹介されました。

「帝塚山イクス」は関電不動産開発との共同事業です。

高級住宅地として知られる帝塚山中一丁目における事業でした。

竣工は2005年8月。阪堺電車姫松駅徒歩5分の612㎡の敷地です。

準住居地域の聖天山風致地区に、鉄筋コンクリート造地上5階建て住宅9戸の計画です。

土地価格坪単価110万円で、募集価格平均約185万円で取得目安価格は約4400万円から7800万円でした。

このプロジェクトも業界紙に紹介されました。

レスタジア南田辺は老朽化木賃住宅の建替え事業です。

事業を通じて複雑な権利関係を整理しました。

竣工は2006年11月。JR鶴ケ丘駅徒歩8分の立地の約614㎡の敷地です。

第二種住居専用地域に鉄筋コンクリート造地上8階建てで住宅15戸を計画しました。

土地価格は坪単価約100万円で、募集価格は平均坪単価約150万円で取得目安価格は3200万円から4300万円でした。

長居公園を南に直接面する絶好の立地でありながら、従前は戦後まもなく建てられた老朽化木賃住宅でした。

敷地内には建物が7棟建っており、底地は先代所有で相続登記されないまま二次相続が発生しており、遺産分割協議に基づく分筆も未済で、建物の多くは地主親族法人所有となっているものの建物表示登記未済。一部地主親族が土地建物共に所有している部分があるものの、建物表示登記未済という非常に複雑な状況でした。

このように複雑な権利関係を事業によって整理しました。

本事業で借地権を有する地主法人と底地権者である地主は、それぞれ賃貸住戸と居住用住戸を取得し、転出を希望する地主は土地売却費を取得しました。

事業を通じて個々に分離処分することが困難だった複雑な権利関係を整理し、老朽化により収益を生むことが困難な状況に陥っていた賃貸住戸は収益を生む住戸に生まれ変わりました。

「宇多野コーポラティブハウス」は京都方式(木造テラスハウス×スケルトン定借)で事業化したプロジェクトです。

環境共生をコンセプトに、一団地申請で従前地盤面を保全し既存樹木を活用、持続可能性を持った現代版京町屋の創造を目指しました。

京福宇多野駅徒歩5分の立地の敷地面積約1409㎡。

第一種低層住居専用地域に木造一部鉄筋コンクリート造地上2から3階建て住宅を13戸計画しました。

権利金で賃貸住戸を建設し、地代とあわせて月額50万円程度の収益を生む事業を構築しました。募集価格は坪単価95万円で取得目安価格は約2300万円から2800万円でした。

約35mもの長さのアプローチを持つ旗竿敷地に隣接する御陵と緑を連坦し、緑豊かな自然を確保、既存樹木を出来る限り生かし、生態系と緑の保全を図りました。

周山街道沿いの緑地帯を活かし、沿道の喧騒を遮断し、緑に囲まれた環境を実現しました。

建物は一団地申請により分棟化し、各住戸はダブルウォール(壁二枚:柱二本)により独立性を確保しました。

「ル・パッサージュ北野」は狭小地での事業です。

近隣商業地域の約140㎡しかない敷地に鉄筋コンクリート造地上9階建ての住宅7戸という、都心の狭小地における計画です。1フロア1戸を基本とし、利便性と良好な住環境の両立を目指しました。

土地価格は坪単価約190万円で、募集価格は平均坪単価約163万円の事業でした。

「内淡路町ハウス」は老朽化した印刷会社ビルの等価交換による建て替え事業です。

天満橋徒歩8分の約4040㎡の商業地域の敷地に、鉄筋コンクリート造地上13階建て住宅24戸、事務所1戸を計画しました。

土地価格は坪単価175万円で募集価格は平均坪単価約150万円でした。
 

オーナー個人と会社が所有する印刷会社ビルが老朽化。印刷業の業態変化により、かつて印刷機の置かれていたスペースが遊休スペース化し、メンテナンスも先送りにされていました。

本事業では立体買換えの特例を用い、従前ビル所有者は資金投下をせずに印刷会社として必要なスペースを最新仕様の事務所・倉庫として確保、余剰スペースは賃貸住戸として収益を生むストックに変換、最上階にバリアフリーのオーナー住戸を取得しました。

「ペイサージュ宝塚寿楽荘」は高低差のある邸宅跡地の計画です。戦前に建築された従前邸宅の、地域の景観形成の一部ともなっている巨石の石積擁壁を生かし、環境共生を目指した庭園住宅として計画しました。

阪急宝塚南口駅から徒歩7分の約696㎡の敷地で、第一種低層住居専用地域に鉄筋コンクリート造地上3階地下1階の住宅8戸を計画しました。

土地価格は坪単価約45万円で、募集価格は坪単価約161万円の事業でした。

以上ご紹介させていただいたのは、キューブで手掛けてきた事業の一部です。

すべての事業において、事業毎に創意工夫し、地主の意向、土地の状況、地形、規模、市場環境その他、あらゆることを踏まえ、その土地に最もふさわしい活用方法を実現する手法として、コーポラティブ方式を利用してきました。コーポラティブハウスは、その事業の仕組みから、前例のない全く新しい取り組みを進めるには非常に適した方式だと思います。現在も新規のプロジェクトに取り組んでおり、その可能性はまだまだ残されていると感じています。

今後とも、コーポラティブハウスから得られた知見を活かし、さらなる大きな可能性を見つけていきたいと考えています。






 

 






2022年7月1日金曜日

コーポラティブハウス いま、これから

 NPOコーポラティブハウス全国推進協議会(略称:コープ協)がコーポラティブハウス50周年記念イベント「コーポラティブのこれまでとこれから」という連続シンポジウム(全6回)を開催しております。6月28日に開催された第5回シンポジウムでお話した「コーポラティブハウス いま、これから」の内容を紹介させていただきます。10分程度と、かなり限られた時間の中での発表だったので、非常に駆け足の紹介になっておりますことを予めご了承ください。


 株式会社キューブは、阪神・淡路大震災からスタートしました。

阪神・淡路大震災を機に創設したキューブが最初に手掛けたのは、築23年で被災した階段室型5階建て総戸数50戸の公社分譲マンション。キューブが再建に向けたコンサルティングおよび設計監理を行い、事業協力者を公募して新築分譲マンション「ディセット渦が森」総戸数72戸に建て替えました。 

このプロジェクトでは、当初建替えに反対していた方々も全員参加して建替え事業を進めることができましたが、この事業を通じて分譲共同住宅における合意形成の困難さと、合意形成を得るための手法を学びました。

次に関わったのは、同じく阪神・淡路大震災で倒壊した5軒長屋。コーポラティブ方式を活用して10戸の共同住宅「スクウェア六甲」に再建しました。

従前長屋の地権者は60歳代~80歳代で、新規参加者は20歳代~50歳代。この事業を通じて幅広い層に自由設計ニーズがある事を確認し、コーポラティブ方式の持つ可能性を発見しました。

スクウェア六甲の事業を通じて発見したコーポラティブハウスの可能性拡大に向けて、今までに様々な切り口で事業展開を行ってきました。

その一つに、「スケルトン定借」があります。

旧建設省で開発され、首都圏でいくつもの実績を積みつつあった「スケルトン定借」の事業を関西でも広めようと、住宅金融公庫主催の事業提案コンペがありました。そのコンペに参加し、採択されたことで関西初のスケルトン定期借地権プロジェクト「塚口コーポラティブハウス」を手掛けることになりました。

このコンペでは、地主が事業者を採択するという事で、顧問会計士と共同で開発した、定期借地権の等価交換を採用し、1階診療所床を地主が無償取得できる提案を行いました。

このプロジェクトを通じて、スケルトン定借の事を深く理解することが出来、スケルトン定借が、震災で明らかになった集合住宅の宿命とも言える問題(=合意形成の難しさ)を解消する可能性を持っている事に気付かされました。


 もう一つが「等価交換」の活用です。

「等価交換」を活用して、規模や諸条件にとらわれず、様々な地主ニーズに応えることのできるコーポラティブハウスの可能性を、様々な事業で探ってきました。

まずは、老朽化した事務所ビルを等価交換で建替えた「内淡路町ハウス」

そして複雑な権利関係の木賃アパート群を権利変換により整理した「レスタジオ南田辺」

4人兄弟共有の老朽賃貸マンションを等価交換で整理した「シェヌーア御影」

戦前建築の親族共有の邸宅を、立派な巨石の既存擁壁を活かしつつ等価交換で共同化した「ペイサージュ宝塚寿楽荘」等々

などを事業化しました。


また、「狭小地・変形地」にも積極的に関わってきました。

規模や諸条件にとらわれず、狭小地・変形地にも積極的に関わることで、様々な地主ニーズに応えることのできるコーポラティブハウスの可能性を探ってきました。

まず、北斜面の典型的な旗竿敷地に計画したRC造テラスハウス「デュプレックス宝塚千種」

42条2項道路に約8m接道、奥行き約50mの変形地に計画した「アンビエンテ北野」 

容積率400%で42坪の土地に計画した「ル・パッサージュ北野」

「ル・パッサージュ北野」とハンター坂を挟んで対に建つ「リブレ北野」

などを事業化してきました。


 そして、「ディベロッパーとの共同事業」にも取り組みました。

「帝塚山イクス」では、関西電力の子会社である関電不動産開発が土地を先行取得、コーポラティブ方式で事業化しました。

さらに様々なアイデアを組み合わせたプロジェクト、「スケルトン定借×一団地テラスハウス」を事業化しました。

新たに始まった住宅性能評価制度が、構造種別によらず、同等の性能を確保するための客観的指標を示すものである事から、木造集合住宅の可能性を発見しました。

また、定期借地の原契約に維持管理ルールを導入することで、京都市が原則民間事業では認めていなかった一団地の認定を受けることに成功し、事業化しました。

 このプロジェクト「宇多野コーポラティブハウス」は長期優良住宅先導的モデル事業に採択され、グッドデザイン賞も受賞しました。

コーポラティブハウスの事業で得られた知見を、一般分譲事業へも展開しています。

まずは、「一般分譲事業×一団地テラスハウス」です。

宇多野コーポラティブハウスを見たディベロッパー(ゼロコーポレーション)から声をかけられ、美観地区の嵯峨二尊院門前院町で「華り宮嵯峨二尊院」を事業化しました。

この分譲一団地テラスハウスは、顧問弁護士と共同で開発した、区分所有法を活用する事で建物の維持管理ルールを法的に担保する手法を取り入れています。

この事業を通じて、京都で建売住宅を購入する従来の地元中心の顧客層とは異なる、全国規模の顧客層を開拓することができました。


 そして「テラスハウスの再評価」を行っています。

建物を区分所有、土地を共有とすることで区分所有法の対象物とし、従来のテラスハウスで課題となっていた問題を解消することが出来ることを発見しました。

また、管理規約の法的位置付けを明確化し、中古流動性を向上させることで、様々な民間ディベロッパーが関心を示し、共同事業を行いました。

神東地所と事業化した「ラテラッセ須磨大手町」ではグッドデザイン賞を受賞しました。

ダイワハウスと「ディーテラス雲雀ケ丘」を事業化しました。

ゼロコーポレーションとは「華り宮嵯峨二尊院」に引き続き、「ルーシアコート宝塚清荒神駅前東館/西館」を事業化しました。東館では宝塚市では初となる民間事業での一団地認定を取っています。

近藤建設工業とは「メロディーハイム守口suite」を事業化しました。


 京阪電鉄不動産と取り組んだ「神戸ハウス北野」では人間サイズのまちづくり賞奨励賞を受賞しました。

地域の歴史的風致が不可逆的に失われるとマンション建設反対の住民運動がおこっていた北野町で、「華り宮嵯峨二尊院」のような計画であれば受け入れ可能という地域住民の声を受け、神戸市の協力の元、分譲一団地テラスハウスとして事業化しました。

このプロジェクトにおいて企画・設計監理・販売に関わることで、様々な潜在的ニーズを発見することができました。


 最新では「神戸北野コーポラティブハウス」に取り組んでいます。

当プロジェクトでは、当初約100㎡程度の住戸11戸、約1億円前後の取得目安価格で参加者募集をスタートさせたのですが、結局約160㎡~約340㎡、1.5億~3億円程度の住戸になり、弊社で取り組むコーポラティブハウスとしては初めて、全戸1億円超えの住戸で構成されるコーポラティブハウスとなりました。この事業を通じて、このような高額価格帯においても、コーポラティブハウスニーズが間違いなく存在することを確信することができました。

日本の住宅産業は閉塞感に覆われて久しいと言われています。

その背景には、空き家問題、人口減少、多様化、建築費高騰など様々な問題があります。

そんな時代であるからこそ、潜在的な社会ニーズに沿って調整し、具体的な事業として顕在化させる柔軟性を持つ事業「コーポラティブハウス」の可能性があると感じています。

そして、その可能性は、日本の住宅産業において、「破壊的イノベーション」を生み出す可能性があると感じています。私共は破壊的イノベーションを生み出すべく、今後もコーポラティブハウスに取り組んでいきたいと考えています。


 




 


2017年1月17日火曜日

フォーラム「パネルディスカッション」



神戸北野から発信する持続可能な集合住宅 フォーラム

「パネルディスカッション」
・・・コーディネーター:公益財団法人日本建築家協会近畿支部 兵庫地域会 長尾健様
     パネラー:浅木隆子様・戎正晴様・天宅毅

  
長尾健 
  
それでは、私がコーディネータということなので、二部のパネルディスカッションを始めさせて頂きます。

私は、日本建築家協会という、専業で建築設計をしている人の、全国で四千人弱の団体の、兵庫県を統括する兵庫地域会の地域会長をこの三年程やっています。私自身は、北野町四丁目で建築設計事務所を16年やっております。よく建築家の世界では、「コミュニティ・アーキテクト」という「地域に根ざした建築家」が目指すべき姿ですよ、と言われています。地域会長でありながらなかなか実践出来ていないのですが、話を伺っていると、天宅さんみたいに地域と深く関わって、ここまで実践されているのは尊敬する次第です。

実は、浅木さんも、戎先生も、震災の頃からのお知り合いというか、その頃に会って以来殆ど長らくお会いしていなかったのですが、そのような絡みもありまして、若干お話させて頂きます。

もう一週間ちょっとで、また地震の時期になりますが、今日も浅木さんのスライドの中で、北野町は大きな被害を受けて異人館が被災したというお話がありました。私は、その頃はいるか設計集団」という設計事務所でスタッフをやっておりました。色んな経緯で、「いるか設計集団」は異人館を五棟ぐらい修復させて頂き、そのうちの三棟を私が担当させて頂きました。一番大変だったのは、シュエケっていう、北野地区の中でも一番大きな異人館で、それが自分の建築をやる上で何か気にかかっており、その後、独立した時にシュエケ邸が見える北野町4丁目に事務所を構えました

震災後、いろいろ建物を見て回って、浅木さんにもそのときにお会いしたのですが、浅木さんって異人館にお住まいなんですね。あまり大きな被災は受けておられなかったのですが、漆喰の壁が落ちたりとか大変だったときに、その異人館にお伺いしました。

今回、二つの大きなテーマがあると思います。一つは、伝建地区の中に建つ、集合住宅というか、建物のあり方ですよね。それに対して一つの明確なものを見せたいという話。これが一つ。その辺は、浅木さんにもお伺いして掘り下げていこうかなと。

そして、もう一つは、先程かなり明解にお話頂きましたけれど、戎先生のおっしゃっていた、いわゆる集合住宅の持続可能性というか、ありかたですよね。

実は私も震災の後、被災マンションの再建事業に取り組みました。兵庫県の住宅公社というところへ出向しまして、41団地もの団地を住宅公社で再建したのですが、そのうち6団地を担当しました。戎先生とも、そのときに1つの建物でお世話になったのですが、あの地震で、区分所有法だけでは無いのですが、集合住宅に関わる様々な問題が顕在化しそれまでは意識していなかった様々な問題を目の当りにすることになりました。

もちろん、天宅さんとは同時並行的に、多分同じようなことを考えていたのでしょうけれども、そこからコーポラティブだとか集合住宅のあり方について色々と検討して来られたということで、震災を契機に考え出したことが、ここに一つの形になっているのかなと思います。

先程、設計の天宅さんがおっしゃっていたのですけれども、私のような、建築の設計を日々やっている者が見ると気付くのが、あれだけの規模の土地に対して、あのボリュームの建物を分節化して屋根を分け結果的に異人館のボリュームと呼応している所。セミデタッチドハウスの二戸一の規模と異人館の規模が近いのは、たまたまなのか、その辺は周到に計画されたのか。

それともう一つ、浅木さんのお話のなかで、北野町のよさは小径が大きな役割を果たしているという話がありました。おっしゃりかけて時間切れになってしまったのですが、今回の計画の中にも、既存の北野の小径からうまく連続していくように、敷地内に小径が張り巡らされているわけですよね。そういったことで多分、街のスケールともうまく合わせていっているところもあると思います。小径の良さによらず、北野町にお住まいの中で、この街の良さについて、もう少しお話し頂けたらと思います。





浅木隆子
  
すみません。先程、慌ただしく北野のことを申し上げましたけれども、北野って、小径が沢山あるんですね。小さい径と書くほうの小径なんですけれども。どうして、小径かと言いますと、畑の間に里道ってありますよね、その里道を外して、畑を住宅にしていったんです。昔は汲み取り式ですから、お互いの家は邪魔にならないように、里道を通って肥を汲んで、肥取り道のような形から始まりました。それが僅かですけれど広がって、1m半ほどの小径がずーっと各家の間を繋がるように広がっています。

居留地は、仕事をする所ですが、車が入る、馬車が入るということで、きちっと正方形に整備されて、下水も全部出来上がって、完成した都市として整備されました。だけど、山手の雑居地は、上からの景色のいい土地に、あちこちにばらばらと建設されました。望郷の念から港を見渡すことが出来るように、みんな南向けに家を建てた時に、道路の事なんか考えていなかったんですよ。隣に行けたらいいぐらいの間隔で家を建ててますから。

しかし、その小径が、逆に北野のコミュニケーションを生んだんですね。というのは、北野というのは、日本人がメインで住んでいる所に、いきなり外国人が来たので、言葉も分からない、隣に目の色が違う、髪が違う人が来てる、子供もキャーキャー言っているけれど、何語をしゃべっているか分からない、という感じです。

そんな中、お正月になると、日本人の家ではお餅をつきます。そして玄関にお飾りもします。すると、外人はそれを見て、え、あれ何してるの、という話になります。小径だから見えるんです。すると、あれはお正月だって。日本人は、こうやって餅ついて、ちょっと食べてみたり、言葉は分からないけれど、「どうぞ、どうぞ」ということになったり。
向こうは、ケーキを作ります。クリスマスにケーキ焼いたりしているけれど、なんかいい匂い、バニラの匂いしているけれども、あれ何? まあ、どうぞ。どうぞが出来る小径だったんです。それと同時に、相手を気遣える小径だったんです。

日本って、建築で言うと木とふすまの建築ですから、相手を気遣うという気持ちが凄くあったんです。となりにお婆さんが寝ていたら、今日お婆ちゃん風邪ひいているから、隣で騒いだらだめよって。障子一枚挟んで、気遣いがあったんですね。それが、小径、気遣い。日本人は おもてなしだけじゃなくて、本当に 気遣いのある国民だったんです。それが、やっぱり外国人にも分かって、お互い、そういう交流が出来たんです。

今回、「神戸ハウス北野」の中を見せて頂いたら、建物は大きな屋根、間に小径が通っているんですね。あ、これは、やっぱりここに住まわれる方が、一つの小径を通じて、そして北野の間の道、小径と全部つながるような、上手な設計しているなと言うことを思いました。昔、香港上海銀行の敷地だったのをよく知っていまして、その頃、周辺の敷地を含めて、あと四件。全部で五件、香港上海銀行の役員用邸宅が建っていました。家の真ん中に大きなプールがあって、みんなでそのプールで泳いだりしました。私も小さいとき、アメリカンスクールに行っていましたから、その関係で、遊びに行ったお家の事を覚えています。

そこにマンション計画が立ち上がり、60戸ものマンションが出来たら、とてもこんな狭い小径で、それだけの車の出入りを吸収できないと言うことで、地元で署名運動をしまして、マンション計画はなくなりました。その時、元々この地域が持つイメージを天宅さんに言いまして、こんなんだったらどうかな、と言うことで提案されたのが「神戸ハウス北野」です。計画の中に北野のイメージがあって、昔の香港上海銀行の役員の邸宅に近いものを、ということで、小径も生かして頂いて、いいものが出来たのではないかと思います。

オリーブの木も、実がなりますので、その実は採って、地元で塩漬けにして、皆さんに配ったりしています。それも、一つのコミュニケーション。小径にオリーブがなり、その実を採って、お互いが塩漬けして食べあうというのも、一つのコミュニケーションだと思います。このように、北野というのは、小さい小径が街の命になっているのではないかと思います。


長尾健 
 
ありがとうございます。車の通れない道が結構北野には多くて、結構その道が心地いいんですよね。

下の道は車の通り抜けが結構多いんですけれど、北野の街を歩く時には車の通れない道を歩くことが多くて、神戸ハウス北野は、車の通れない道にちょうど面しているので、随分前から、どんな計画になるのかと気にはなっていたんです。そういう小径とも、うまく連続性を出されているという事ですね。

そこで、天宅さんにお伺いしたいんですけれど、事業主さんが当然おられるわけで、今までは、もっと戸数の多い集合住宅の計画が、何度か立ち上がっては挫折していったんですよね。もちろん、結果的に、こういう規模でやると、凄く地域の方にも喜ばれてということが分かるんですけれども、事業をされる側からすると、事業性が判断されるところだと思うんですね。その辺りが、どういう風になっているのかお話が聞けたらと思います。


天宅毅
  
浅木さんがお話されたように、何度か、この敷地はマンション計画が過去にあり、地域の反対によって事業が頓挫したんですけれども、地域で反対し続けるっていうのも限界があると思うんですね。専門的な話になりますが、この土地は建築基準法42条二項道路に面しているので開発が出来ず、一棟の建物しか建設することが出来ない土地です。普通に考えると、マンションしか立てることが出来ず、開発道路を通して複数の戸建てを建てるということが出来ない土地なんです。

土地所有者はこの土地を売却することを決めていらっしゃる中で、600坪ものマンション計画しか出来ない土地があり、地域としてマンション計画に反対し続ける状況が継続する。とにかく土地を売りたい方は、買ってくれる人がいれば、少しでも早くお金に換えたいという状況が継続するので、いずれたちの悪い事業者が購入して、伝統的建造物保存地区であるにも関わらず、必要な許可を得ずに強行して建物を建ててしまったりするようなことになってしまっては元も子もありません。

浮いている状態でほっておくよりは、何らかの形で着地させておかないと、心配が後々に残るという話をしている中で、京都の風致地区や美観地区で弊社が手掛けた、街並みに合わせたプロジェクトのお話しをする中で、浅木さんをはじめとする、地域の方々からご支援を頂くことができました。

事業性を考えると、接道条件の悪い、施工条件の厳しいところで鉄筋コンクリートの工事をしようとすると、ものすごく建設コストがかかるんです。今回は、木造の建物で、大型の工事車両が進入しにくい所でも、臨機応変に工事が出来る構造体をとっているものですから、実は鉄筋コンクリートの大きいマンションを建てるよりは、環境負荷を与えないものを作ったほうが、結果的に事業性が高まるというような、ひっくり返ったような状況が発生しています。ですので、事業性そのものを毀損してやっているわけではありません。

そういう意味では、今までのように、ただただ闇雲に規制の許す最大限マックスのものを計画するだけでなく、これだけ建築費等が高騰してきている中では、違う方向性の中に、かえって事業性が高まったり見込めたりすることも生まれてくるのではないのかな、ということが、今回の事業を通じて発見できたのではないかなと思っておりまして、そういう意味でも、ちょっとエポックな物件だったんではないかと感じています。

いずれにしても、ほとんど前例の無い、この企画をご理解頂いて、事業主として事業をして頂いた京阪電鉄不動産さんが、よく事業化を決断して下さったなあというのが、非常に感謝するところです。事業主さんがやると思ってくれなかったら、いくら良い企画であっても絵に描いた餅で、実現しなかったわけです。そういう意味では、心から感謝して、しすぎることは無いと感じております。本当にありがとうございました。


長尾健
  
先程の戎先生がお話頂いていたように、震災復興の時の経験では、お住まいの方々が区分所有法を十分にご理解していない状況が割と多かった印象があり、建替え時に困難を伴ったというイメージしかありませんでした。

先程のお話の様に、いやいや鉄筋コンクリートで大きなマンションをめいっぱい建てるんじゃなく、こういうやり方でやっていくという時に、区分所有法をうまく使うことによって、景観を維持していくとか、持続可能にしていくとか、そういった状況を実現できるというのは、本当にびっくり、なるほどなと思いました。どういう時点で、こういう事が出来るというのに行きつかれたのですか。


天宅毅
  
きっかけは、今回このプロジェクトの施工をして頂いているゼロコーポレーションさんが、京都で事業化された「華り宮 嵯峨二尊院」という物件がありまして、これは、嵐山の美観地区内のプロジェクトでした。

そのプロジェクトに先駆けて、弊社で「宇多野コーポラティブハウス」というテラスハウスの団地型のものをやったことがあって、それは、定期借地権だったので、その定期借地権の契約の中で、いろんなルールをコントロール出来るっていうことでやっていたんですけれども、ゼロ・コーポレーションさんから、今度は分譲でやってほしいっていう話がありました。分譲で建物をコントロールするには、どうすれば良いか、非常に難しくて、様々な方々とディスカッションしたりしましたが、なかなか糸口もつかめませんでした。

そんな状況の中で、戎先生ともディスカッションしていた時に、マンションだったら建物をコントロール出来るのではないかという話になりました。
そして、マンションとは何かという話になりまして、区分所有法を読み解いていくと、コントロールできる対象は専有部分のある建物ということで定義されているんですね。
そこで専有部分のある建物とは何か?ということになって、宇多野コーポラティブハウスの登記を見ると、2戸1の住棟が専有部分登記されていました。
そこで、2戸であっても、100戸であっても、専有部分のある建物であれば、区分所有法上は規約で建物をコントロールできる対象になるということに気付きました。



戎正晴
  
持続可能な集合住宅という、変えようと思ったら、変えられる、しかし、自由には変えられない。残すべき物は残す。これを実現するためには、それぞれの建物を、例えば、団地の管理組合がコントロール出来ないといけないわけです。ところが、戸建ての団地の場合、建物の一つ一つについてルール化することが許されていないんです。
 
区分所有法は、全ての建物が区分所有建物であれば、その建物についてもルール化することが可能だというふうになっているわけですね。つまりいわば、それぞれの建物から管理を取り上げて、団地管理組合が一括して全ての建物を管理するということが認められている。その仕組みを使えば、建物についてもコントロールをすることが出来るのではないか、というのが一つですね。そのためには、さっき天宅さんがおっしゃったように、区分所有建物にしないといけない。これが、欠点といえば欠点なのですが、区分所有建物にしない限り、そういった団地管理組合の規約で建物を縛ること自体が、認められないと言うことですから、これはどうしても最低二戸の区分所有建物にするしかない、ということですね。
 
それと、区分登記をするだけではなくて、所有者が最初から一人で、一人が動かないという仕組みで作ってしまうと、これまた、区分所有建物性という、法律上の理論に、つながっていくので、どうしても、所有者の異なるA、B、の所有物としてスタートすることが、法律的には必要になってくるということがあります。ここが欠点といえば、欠点かもしれないですが、持続可能な集合住宅ということを可能にするということであれば、その欠点を上回るメリットがあるのかな、ということですね。
 
それから、建物全部壊すのは建替えだけれども、建物の一部を壊してやりかえるのは、建替えでは無くて、改修とか、共用部分の変更になるんですね。共用部分の変更は団地管理組合で、ルール化することが可能です。そこで、木造のマンションにするということで、戸建て住宅と同じように、その部分だけ改修するということも、ルールの中で可能にすると。これも木造マンションの一つのいいところかなと思います。木造のマンション団地なんていうと、普通ピンとこない訳ですけれども、こういう形で計画化することによって、先程から出てる、景観維持や、様々なメリットを生むことが可能になったと、こういうふうに思っています。


長尾健
  
ありがとうございます。一戸単位で、建替えではなく改修が出来ることで、老朽化したり、いろんな間取りが、状況に応じて変えて行け、持続可能性が生まれてくるのだと思うのですが、まだ出来ていないかもしれませんが、管理規約でどのような事をルール化しているのか。例えば、建築面積や高さ等、どういう縛りをかけておられるんですか。外観の色彩とか、ちょっと教えて頂けますでしょうか。


戎正晴
  
詳細なことは、後で天宅さんからお話し頂けるとは思いますけれども、普通のマンションでも、専有部分の中は、専有部分のリフォームで、管理組合の承認を取って、一定の範囲でやれますよね。今回もそれと同じです。専有部分の中に関しては、そういう形で管理組合で承認していく。承認の時のルールも、こういうものであればOKと言うのが決まっている。

外側の共有部分に関しては共有部分の変更になりますから、これも団地管理組合で、こういうやりかたであれば、みなさんで4分の3で決議をして、というような話で可能になっています。先程言いましたように、一定の景観とか色彩とか形とか色彩とか、あるいは、大きさだとか、そういったものは、かなり細かく規約の中で定められていて、その範囲であれば、という形になっているはずです。


天宅毅
 
既に販売を開始しているので、もう管理規約は出来ているのですが、その中で基本的に床面積は変更できない。床面積が変更できてしてしまうと、議決権割合が全部変わってしまうので変えることができないような前提にしております。建替えはできるけれども、床面積が変わらない範囲内、壁面線とか外部の仕上げ材、色、は変えることができないという規約になっています。

計画地は伝建地区内ではありますけれども三階建てまでは建つところです。現在、全て二階リビングで屋根越しに海を見渡すような計画になっている関係で、今の二階建てを三階建てにしたりすることは出来ない規約になっております。逆に言うと、今得られる眺望は、将来もずっと担保出来るということで、その街区全体での居住性そのものは、維持されるようなルールにしております。


長尾健
  
ありがとうございます。街区全体、街区の居住性だけでなくて、既存の連続していく山側の人達からの、眺望というか環境も基本的には守られる。だから将来もほぼ変わることなく、続いていくだろうという、そういうことですよね。


天宅毅
 
そうですね。ただ、これはあくまでも管理規約なので、逆に100年後200年後に、全然価値観が今とは違う世界になってしまい、現在決めているルール自体が陳腐化した時には、区分所有者の合意で規約を変えることができるんです。みんなで三階建てを建てることができるように変えよう、ということにもしなれば、自分達の合意によって変更出来る柔軟性は残しております。規約で定めているルールの変更に対する判断を、住まわれている方々自身に委ねることが出来るのが、バランスの取れた柔軟性ではないかなと考えています。


長尾健
  
残り時間がもう少なくなって来たんですけれども、震災から20年ちょっとですね。あの時に、いくつかの異人館が解体されて、その後しばらくは何かそれなりに放置されていましたよね。このところ、20年以上経って何か、北野の地区の中にも結構更地になっていく所が、ぽつぽつと、よく出て来ていると思うんですよね。今回の敷地もそうですけれども。そのへんで、浅木さんに、震災以降ずっと見てきて特にこれから、北野のこの建物を含めてですけれども、どうしても変化していかざるを得ない部分というのはありますから、そういうところに対して、この20年を含めて、お気持ちをちょっと聞かせていただければと思います。


浅木隆子
   
難しい質問なんですが、震災から22年経ちますと、皆が、震災の時の思いも忘れて、何かそのままずっと平穏に来たような気になっておりますけれども、あの時は、本当に住民が一致して、外国人クラブなんかも、全部日本人にも開放してくださりました。

今、地域の人口の4分の1は外国人ですから、本当に、石を投げたら外国人に当たるような地域です。震災のときも、その人たちも一緒に組んで、本当に色々してきたんですね。このようにコミュニケーションの良い街ですから、以前は観光客に荒らされて、観光地化が嫌だとかあったんですけれども、観光客がいなくなった震災の後というのは、反対に家が潰されていくようになったんですね。

お金を生んでいた建物が、お金が要る異人館になって、じゃまもの扱いと言ったら悪いですけれども、神戸市さんが潰すお金は出したんです。もうちょっとあの時保存にお金を出してあげたら、もっと建物が残ったという思いがずいぶんあるんですね。そういったこともあって、少しづつ、私達は建物の形見といいますか、潰されていく建物に行って、あの暖炉の飾り下さい、階段の手摺下さい、ステンドグラスも、っていうふうにして「街の記憶を残す運動」を展開し、倉庫を作り保存してます。

やはり、高齢化が進んでいますから、離れていく人達がおられ、土地が売買されたりしています。景観地域ですから、高さ制限、色の制限、そういったものはきちっとありますし、私達も監視していますから、あまり無茶なことは無いと思いますけど、やはり、このまま、昼間は観光客が多くても、夜は静かな北野町に戻る町ですから、昔の教訓を心に秘めて、良いコミュニケーションが育まれる町でありたいと思います。外国クラブなんかは、フリーメイソンもありますし、神戸は本当にいろんな宗教もありますので、文化遺産に向けて、勉強しながら活動していきたいと思っております。


  

長尾健

どうも、ありがとうございました。時間が来てしまいました。駆け足続きの話で、お聞き苦しい所もあったと思いますけれども、これで二部を終わらさせて頂きます。