2012年6月30日土曜日

テラスハウスの可能性について


デュプレックス宝塚千種でテラスハウスの計画を行い、テラスハウスの持つ可能性を再認識しました。ここでは、テラスハウスの可能性について考察してみたいと思います。 

日本の住宅の寿命が短いというのは周知のことです。
では、住宅の寿命が長いのは、どの国かと調べてみるとイギリスであることがわかりました。
なんと、住宅の平均寿命は、日本の約3倍とのことです。

その、イギリスでは、住宅はどんな形式で建設されているかと調べてみると、その多くが低層で各戸が地面に接している連続建ての集合住宅であることがわかりました。
接地型で連続建ての 集合住宅をテラスハウスと言いますが、イギリスでは、セミデタッチドハウスという2戸1住宅も多く、この2つを合わせると、現在でも全住宅のおよそ6割を占めるそうです。
上の写真は、イギリスのありふれた景色ですが、すべてテラスハウスです。
テラスハウスもセミデタッチドハウスも、戸建ではなく集合住宅であるという意味では同じと考えて差し支えないと思いますが、なぜこのような集合住宅が200年以上前から建設され、今もまだ利用され続けているのでしょうか?

イギリスのテラスハウスは、レンガ造か石造等、耐久性の高い構造で作られています。
元々イギリスの住宅もほとんどが木造でしたが、17世紀後半にあったロンドン大火によって、およそロンドン市内の家屋の85%が焼失し、その後木造住宅の建設が禁止された結果、レンガ造と石造の街並みが形成されたそうで、そもそも建設時点で長期耐用性を想定して建設されたわけではありません。
イギリスには地震がほとんどないので、耐震性が建物の寿命を決定しません。
従って、現在でも戦前に建てられた、レンガ造や石造のテラスハウスが利用されています。
ローマに行けば紀元前に建設されたレンガ造や石造の建物が現存するように、耐震性を考慮する必要がなければ、レンガ造や石造は長期耐久性を持っています。
さらに重量があるので遮音性等にも優れ、各戸の独立性が確保されているので、築年数が古くなっても建替えず、 構造部分を生かしたまま、内部を改装して利用することができるのです。


もう一つに、接地型という建物形状が大きく作用しているのではないかと思います。
200年前というと、イギリスにおいても現在と設備関係は全く異なります。
当然家庭はまだ電化されておりませんし、インターネット等に関しては想像することもできなかったことと思います。 
そんな時代のストックが、なぜ今でも利用できるのでしょうか?
テラスハウスは、戸建と同様に、共用配管は建物外部の地下に埋められ、設備更新を個別にすることができます。このことで、設備の近代化に容易に対応する事ができたのではないかと思います。

このように、構造の耐久性と設備更新のしやすさが、結果としてライフスタイルや時代の変化に対応することが出来、超長期にわたって社会的耐用性を持続させることに繋がったのではないかと思います。イギリスでも戦後、テラスハウスをマンションに建て替えて高度利用を図る動きが進められた事があるそうです。しかし、テラスハウスの魅力の方が高く、日本のようにマンションが一般的な居住形態の一つとなるような大きな動きになりませんでした。イギリスでは今でもマンションは「フラット」と言われ、テラスハウスやセミデタッチドハウスのように「ハウス」とは呼んでもらえません。




それでは、日本におけるテラスハウスの状況はどうでしょうか?
日本でも1970年頃から導入されましたが、現在ではあまり見られません。
その理由は何でしょうか?

大きな問題として、当時供給されたテラスハウスの構造耐久性が低いことが上げられます。
テラスハウスは集合住宅です。
集合住宅である以上、基本的に維持管理運営には合意形成が必要です。 
集合住宅が建替えに向けて合意形成を得ることは非常に困難です。
耐久年数が短く、築20年~30年程度で建替えを検討しなければいけないようでは、合意形成の困難さがすぐに顕在化し、問題となります。
集合住宅である以上、長期耐久性は必要条件ですが、日本のように地震国において耐震性を維持するには工夫が必要です。

また、当時供給されたテラスハウスは隣接住戸間の遮音性が低く、住戸の独立性が十分に確保されていませんでした。隣の家の話し声が、そのまま聞こえてくるようなものもあったと聞きます。このような住まいではプライバシーが確保できず、長く大事に使おうという意識も生まれません。

さらに、当時テラスハウスは戸建のイメージを装って販売されたようです。
テラスハウスは実際には集合住宅であり、維持管理運営には合意形成が伴うにも関わらず、戸建のように独立したものとして販売されたようです。
実際に建築確認は複数戸からなる連続建ての1棟として申請されているにも関わらず、敷地を区画ごとに分筆し、それぞれが独立性を担保しているように装って登記されているものが存在します。

こんな問題だらけのテラスハウスが普及するはずがありません。
しかし、イギリスのテラスハウスがそうであるように、これらの問題はテラスハウスが本質的に持っている問題ではありません。



一方、元々日本にはなかった建築方式で、同じように日本に導入され一般化したマンションはどうでしょうか?日本のテラスハウスのような問題は何も無いのでしょうか?

築30年を超えると必ず必要となる配管等設備の更新を行う大規模修繕の合意形成が難しく、未だにイギリスのテラスハウスのように長年にわたる居住ができないのが現状です。
結果として建て替えを検討されることが多いのですが、それには大きな困難を伴います。
これは日本の集合住宅が共通して持つ、根本的問題であり、この問題を乗り越える事なくして日本の集合住宅が持続可能性を持つことはありません。

そして、この問題は現在急増している超高層マンションでも全く同じなのです。



イギリスの実績を参考に、日本独自の長寿命なテラスハウスを実現することができれば、持続可能な集合住宅に繋がる道が見えてくるのではないかと考えました。

その為には、従来の日本のテラスハウスが持っていた問題を解消する事が必要です。

まず、長期耐久性を持つ構造を採用する事が必要です。
デュプレックス宝塚千種は、耐久性の高い構造を採用するという方法を取りました。
宇多野コーポラティブハウスや1000年住宅では、各戸を構造的に独立させ、耐震性が損なわれるような状況になった時に、戸別に耐震性を回復する措置を取ることができるように計画するという方法を取りました。


また、住戸ごとの独立性を確保する事が必要です。
テラスハウスは上下に他者が住まないので、隣接住戸間の独立性が確保できれば、一般のマンションよりも独立性を高く保つ事が可能です。
デュプレックス宝塚千種では、 鉄筋コンクリート造により、一般のマンションと同等以上の独立性を確保しました。
宇多野コーポラティブハウスや1000年住宅では、各戸を構造的に独立させ、2枚壁により鉄筋コンクリートと同等以上の遮音性能が確保できるように工夫しました。


そして、長期的に必要な維持管理運営を行うことが必要です。 
これは、管理組合が自立し、第三社の専門家として管理会社を上手に利用すれば可能だと思います。





このように、工夫次第で日本独自にテラスハウスの持つ可能性を広げることは可能だと思います。
デュプレックス宝塚千種で気付いたテラスハウスの可能性を、宇多野コーポラティブハウス、1000年住宅と展開してきましたが、 これからもさらなる可能性について検討し、具体的な事業の中で展開していきたいと考えております。


















2012年6月29日金曜日

今までの取り組み(デュプレックス宝塚)

宝塚市の阪急今津線小林駅西側には千種という良好な住宅地が広がっています。
この千種にある、旧みどり銀行の社宅が破綻処理に伴い売却されるという情報が、管財人の弁護士を通じて入ってきました。




小林駅にも非常に近い170坪もある敷地でしたが4mしか接道していない北斜面の旗竿形状で分割することもできず、処分に困っているとの事でした。
千種周辺は、用途地域としては最も厳しい一種低層住居専用地域でもあり、非常に良好な住宅地です。周辺では30区画程度の建売住宅が、6000万円~8000万円程度で供給されており、好調な売れ行きを示していました。従って、ニーズと合致する計画を組み立てることができれば、必ず需要はあると考えられました。




そこで、6軒のテラスハウス形式のコーポラティブハウスを考えました。
敷地の高低差を利用して地下に駐車場を確保し、2階建てメゾネット住宅を6軒横に連結する形状です。構造的には鉄筋コンクリートの計画とし、南側敷地には約4mの高さの擁壁の上に家屋が建っていたので、中庭を設けて中庭から採光を確保し、屋上テラスを設置する計画としました。
中庭を主採光面とすることで、隣接住戸からの視線を気にせず、完全に独立した開放感を確保することができます。 また、屋上テラスからは広く宝塚市内を見渡す眺望を得ることができました。





接地型の計画を活かして、自由度を最大限確保した計画を試みました。
その結果、中庭の位置、形状も各戸バラバラで、各戸のプランに連動した形状となりました。
このような構造計画を実現するために、建物はラーメン構造ではなく、カルバート状の壁構造として、有限要素解析によって計画しました。
個別設計によって、地下室を作ったり、地下住戸から直接地下駐車場に出る事ができたりする住戸も生まれました。




写真でもご確認いただけるように、中庭に面しては最大限開口部を確保していますが、隣戸の壁に向かっているので完全に各戸のプライバシーは確保されています。
中庭は完全なプライベート空間として、屋外リビングのような使い方が可能です。
この中庭も、住戸によってはテラコッタタイルを敷き詰めたり、ウッドデッキで演出したり、様々です。
浴室に関しても、今までは試みなかった、開放性の高い浴室にチャレンジしました。
このプロジェクトは、今までのマンション形式の上下に住戸が重なる建物ではなく、テラスハウス形式の横に連結する建物なので、設備上・構造上の技術的な制約が少なく、自由度の極限までトライする事ができました。
その中で、テラスハウス形式の持つ可能性を実感するとともに、設計的にも様々な経験を得ることができました。

本計画は、エレベーターもなければ、機械式駐車場もありません。
一般のマンションと比較して、維持管理する必要のある機械設備がほとんど無い建物です。
このことにより、管理費が安くて済むだけでなく、修繕維持費も安くなります。

ここでも管理会社に管理業務を委託する形でスタートしましたが、具体的な管理業務内容は、ほとんど事務出納管理がメインとなりました。
このようにすることで、管理関連費を限界までスリム化することができました。
基本的には、マンションの維持管理運営においては、第三者の専門家として管理会社が介在する方が、健全な管理組合運営が図られると私共は考えておりますが、まさにその目的に特化した形で管理会社を利用する環境を作ることが出来たのではないかと考えております。

2012年6月28日木曜日

今までの取り組み(シェヌーア御影)

コーポラティブハウスの可能性を、もっと一般化して展開できないかと様々な可能性を探っている中で、神戸市東灘区の高級住宅地として名高い御影において、約40年ほど前に建てた賃貸マンションの建替えに関して、その賃貸マンションを建設した工務店から相談がありました。



従前の賃貸マンションは先代が建てられたものですが、相談を受けた時点では、法定相続を受けられた4人のご兄弟が共有されていました。ただ、約40年前に建てられた賃貸マンションなので建物の作りが現在の賃貸ニーズとはかけ離れており、1住戸単位が小さく、和式トイレや浴室の仕様など、絶好の立地にも関わらず、なかなか借り手がつかない状態になっていました。借り手がつくようにする為には、相当資金投下してリフォームする必要がありましたが、投資することで確実に入居者が得られる状況ではなく、そもそも4人兄弟で共有している状況ですから、投資資金の負担も難しい状況でした。ただ、場所は非常に良いので、固定資産税評価も高く、保有コストが収益性を上回り、何らかの手立てを講じなければならない状況でした。

従前地主の一族は元々御影周辺の土地を所有され、代々受け継がれてきたようですが、現在のご兄弟はみなさん中部圏に住まわれていました。
先代が亡くなられてから、ご長男が資産管理をしなければならないという事で、神戸に転居してこられていました。
賃貸マンションが建っている状態では資産分割することが難しいので、当初は一括売却して、現金化して分割することを検討されていました。
が、ご長男が代々受け継いできた相続財産は手放さずに継承するべきだと考えられました。

しかし、土地形状から分割することも難しく、ご長男と他のご兄弟の希望を双方かなえることは難しい状況でした。そのような状況で相談を持ちかけられました。

そこで提案したのは、コーポラティブハウスと等価交換を活用した建替えです。
ご長男のみ等価交換でコーポラティブハウスに参加され、他のご兄弟は単純売却で資金を得られる。
このようにすれば、この地に住み続けたいご長男の希望と、換金化したい他のご兄弟の希望を叶える事ができます。
土地が100坪程度しかなかったので、ファミリーマンションを10戸程度しか計画することができず、等価交換で通常の分譲マンションを企画しようとしても事業規模が小さすぎてディベロッパーを誘致することができません。しかし、コーポラティブハウスであれば十分な規模と言えます。

実際に等価交換でコーポラティブハウスを建設することが決まった時点で、次男さんも同様に等価交換で事業に参画され、住戸を取得されることになりました。ご長男、次男さん、お二方の参加になりましたが、それぞれ別住戸を取得されることになりましたので、従前のように共有関係ではなく、それぞれで分離処分できる状況で取得していただきました。

このように、相続で発生した共有関係を解消、整理するためにも、コーポラティブハウスは有効であることが確認できました。

御影のような高級住宅地のお屋敷は、大邸宅であっても100坪から300坪程度であり、分譲マンション事業を進めるには規模が小さすぎます。従って、このような地域は人気があるにもかかわらず分譲マンションはあまり供給されていません。結局細分化されて建売住宅が建設されたり、売却せずに賃貸アパートが建設されたりして、高級住宅地の良好な街並みが崩され続けています。

コーポラティブハウスであれば、このような邸宅跡地の敷地規模でも十分事業化が可能です。
このように、従来の手法では敷地規模とニーズを結ぶ方法が無かったり、地域の魅力を低下させるような形でしか対処できなかった良好な住宅地において、コーポラティブハウスを計画することは非常に意義のあることと感じました。




本事業では、ワンフロア1住戸で取得価格が9000万円以上の高額住戸も発生しました。
それだけの価格であれば、選択肢は様々にあるはずで、何故本事業を選択したのか、当該住戸を取得された方にお聞きしました。

「御影界隈で1億円の予算で戸建て住宅を検討しても、駅からフラットアクセスの範囲では、駐車場を確保すれば庭も満足に取れないような家しか取得できない。さらに窓を開ければ隣の家しか見えない。山を上がればもう少し条件は良くなるが、老後も含めた先々を考えると駅に近く利便性の高いフラットアクセスの立地で家は購入したい。100㎡を超える分譲マンションは極端に値段が乗せられていて高くて話にならない。このコーポラティブハウスの上層階をワンフロアで取得すれば、窓から広々と見渡す眺望を得ることができ、バリアフリーである。さらに1階に駐車場が確保されているので安心。このように考えると、他に選択肢はなかった。」

との事でした。

このようなニーズは潜在的にまだまだ存在すると思います。
まさに、このようなニーズは、今まで住宅供給者側が、住宅供給者の論理で住宅供給をし続けてきた結果、全くフォローされて来なかったニーズではないでしょうか?
そして、そのようなニーズに応えることができれば、コーポラティブハウスの可能性をもっと広げていく事が可能であると思います。


個別設計においては、さらに自由度の幅を広げ、オリジナルでユニークな住まいが実現しました。

こちらはタイル張りのリビングに設けた和室コーナー。
建具デザインを統一し、まるでお店の個室のような雰囲気を持っています。




こちらは、まるで古材で作ったようなキッチン。
一般的なマンションでは、まず採用されない、このような嗜好性の高いものも採用できます。





よくホームパーティーを開き、来客の多い住まいで実現したアイランドキッチン。
床材も天然木の無垢材を採用しています。
基本的に1フロア1~2住戸なので、どの住まいも窓が多く明るいです。




玄関から直接アプローチすることができる和室。
炉を切って、お茶のお稽古ができるようになっています。




グランドピアノのために作った防音室。
メゾネット化して自らの住まいの上に配置し、2重窓や2重壁など、防音化を図りました。




勾配天井を利用してロフトを設け、2人姉妹の寝台を設置しました。
寝台下のスペースは収納になっており、扉の開閉によって2部屋を1つにすることもできます。




寝室に畳コーナーを設けました。




このように、プロジェクトを重ねるごとにバリエーションが増え続けています。
実際に自由設計対応をするなかで感じることは、個別ニーズというのは、最大公約数的に集約化できるものではなく、独自のものであるということです。
そういう意味でも、実際に住まれる方のニーズに応える形で、住まいを実現するコーポラティブハウスの可能性を実感しています。

2012年6月27日水曜日

今までの取り組み(塚口CH)

阪神淡路大震災で明らかになった問題の一つとして、借地権の問題がありました。


阪神淡路大震災以後、地主が土地活用に消極的になっていました。何故ならば、震災で旧借地借家法に基づく借地権が、底地権よりいつの間にか強くなっていたことが一気に顕在化し、そのことに地主が一斉に気づいたからです。その結果、土地は一度貸せば 返ってこないという意識が強くなりました。


平成4年に定期借地権が法制化されましたが、借地期間満了時の建物取り壊しを前提とする定期借地マンションでは、入居者の建物維持管理意識が希薄になりやすく、早い段階でのスラム化を招くおそれがあり、そうなれば不法占拠も発生しやすく、取り壊し時期に占拠者を追い出せなくなることが懸念され、地主の土地活用意欲を低下させる要因となっていました。


そのような地主の懸念材料を払拭する方法として当時話題になっていたスケルトン定借に注目していました。建物取り壊しを前提とする更地返還ではなく、建物存続を前提とし、定期借地⇒借家という段階的に返還する方法が地主の理解を得やすいのではないかと考えていたからです。ただし、定期借地を前提とした取り組みは収益性が低く、地主に土地提供してもらうためには、地主の収益性をいかに高めることができるかが鍵であると考え、様々な方法を検討していました。その中で、「定期借地の等価交換」という手法を見出し、活用できる事業を探っていました。



そんな状況の中、住宅金融公庫大阪支店は1997年10月に、「まちづくりを支援する協同建設型の住宅供給促進研究会」(略称、大阪まちづくり研究 会)を発足させました。座長にはスケルトン定借の開発者・小林秀樹氏(建設省建築研究所(当時))を迎 え、弁護士や建築家などの専門家、地方公共団体、それに有志企業の参加をえて、積極的な活動を展開していました。 キューブも被災地の企業として、本研究会に参画することになりました。



1998年3月、地主と専門家を対象とするシンポジウムが神戸市内で開催されましたが、600名を超える参加申込みがあって 大きな反響を呼びました。スケルトン定借はすでに、大都市で安価で良質な住宅を供給する方式として、社会的にも大きな評価を得ていることをアピールし、この事 業に土地を供給する人には安定した経営と節税効果をもたらすことを知ってもらうよい機会となりました。新聞のパブリシティ効果もあって、後日、活用の申し出の あった土地情報は30件あまりに及んだそうです。


この30件におよぶ土地情報の中から、1998年8月には、のちに関西第1 号のスケルトン定借となる「塚口コーポラティブハウス」プロジェクトが基本計画を策定する公開コンペを実施することになりました。このコンペを地主の了解を得て公開にしたのは、地主の利点やスケルトン定借の可能性を、実際の建設計画の事例に則して興味のある多くの方々に理解してもらおうと考えたからだそうです。


この公開コンペは、研究会に参画していた企業からなる3グループで戦うことになりました。
キューブは単独で参加しました。
このコンペは、最優秀案を地主が採択し事業化するという 仕組みであり、地主のご子息が医院を開業される為に複合化を行いたいというニーズが、今まで活用方法を探っていた、「定期借地の等価交換」にピッタリだったので、「定期借地の等価交換」を採用した提案を行いました。
具体的な事業スキームは下記の通りです。





従前の土地の評価の2 分の 1 を超える権利金を発生させれば等価交換の対象として認められて、立体買い替えの特例が利用できる…というところに着目したスキームです。第三者に貸す定期借地の権利金と、 1 階に設ける医院(店舗床)の建築費とを等価交換する方法です。
この方法なら一般的な等価交換と違って、土地を失うことがありません。60 年 後には土地はまるごと建物付で返ってきます。全部自分のものになります。しかも、医院開業のための店舗床も無償で取得できることになります。こんなにう まい話はないので、提案に自信はありました。ただ、この等価交換の方法は、先立つ事例が無いため、再三、税務署と相談しながら進めました。この事業は、私どもと会計士事務所と不動産鑑定士の3者がチームを組んで、それぞれの知恵をつなぎ合わせてはじめて実現できたもので、それぞれが単独で事業を組み立てていてはと てもできなかったと思います。



このスキームは地主から高い評価を得、キューブの提案が最優秀案として採択され、キューブが担当企業として関西初となるスケルトン定借事業の事業化に取り組むこととなりました。



  塚口コーポラティブハウスでは、施工会社を選定するにあたっても、前例のない方法でコンペを行いました。建築費の上限を提示し、建物の高耐久性と将来的な設備の更新性についてのノウハウを競うというものです。 高耐久性の技術とかその問題 点、あるいはメンテナンスに関しての経験や情報量では、設計事務所よりも施工会社の方が強いので、予算の範囲内でできるだけたくさんの提案を施工会社から出してもらったほうが意味があると考えたのです。



キューブでは、設計にあたって、 住宅における耐久性の高い設備とは、新製品や新規手法よりも、むしろ、評価の確立した手法をできる かぎり用い、将来における技術革新に対応できる順応性を持たせることだと考えています。頭でっかちな新奇性は、むしろ建物の寿命を縮めると考えていま す。 無制限に自由にしてしまうと、居室の上にトイレがきたり、リビングの上に浴室があったりというプランになる可能性もあり ます。そんなことが住環境としていいことだとは思えません。水回りは利用時間や生活スタイルが様々なので、あまりバラバラにしたくない。ある程度、技術 的に問題のない範囲内に制限しておくことが、ひいては入居者がお互いに気持ちよく住めることにつながるはずです。こういうことを入居者に説明すると、皆さ んよく分かってくださいます。
これに限ったことではありませんが、法的、技術的に問題のある希望に関してはコーディネーター側の判断でお断りすることもあるということを伝えて、事業を進めるようにしています。



このような考え方も、スケルトン定借に取り組み、真剣に建物の長期耐用性をつきつめて考えていく中で見えてきました。そして、今まで「何でもあり」のようにして取り組まれてきたコーポラティブハウスの問題点も見えてきました。
マンションは、その存在自体が公共性を持っており、簡単に建替えができない以上、長持ちさせなければならない社会的責任を負っています。その社会的責任を負っている自覚のもとに、マンションの設計はなされなければなりません。それはコーポラティブハウスでも同じです。


本事業の参加者募集にあたり、当初は、スケルトン定借という新しいシステムをどういうふうに説明すればよいのかということに、たいへん苦労しまし た。仕組みが複雑なので、説明をすればするほど、聞いてくださっている方が引いていかれるように感じたものです。公的な色彩の濃いものだから一民間人が話 しても説得力がないのかなと思ったこともありました。
しかし、阪神淡路大震災で建替えを経験された方が塚口コーポラティブハウスの参加者の中に2人おられますが、こう いう方は、最初にこのシステムの説明をしたときに、すぐに理解されたそうです。だからこれを選んだのだと。その時ばかりは、スケルトン定借の真価を思い知 らされたような感じがしました。


スケルトン定借事業に実際に関わってみて、スケルトン定借は、合意形成に対する絶望の上に構築されたシステムであると感じました。そういう意味では一般的にコーポラティブの持つイメージと対極の可能性を内包していると思います。スケルトン定借は、日本の集合住宅に持続可能性を持たせるための一つの方法を提示しており、一般の分譲方式そのものをくつがえすほどのラジカ ルな発想転換を提起していると感じました。


建物は、スケルトン定借の主旨を踏まえ、スクウェア六甲で取り組んだスケルトン・インフィルの分離をさらに進め、徹底しました。そして、インフィル設計の自由度も、かなり幅広く対応するようにいたしました。



1階診療所の待合室

1階には診療所が入りました。
70坪以上の広さがある、ゆったりとした診療所です。




防音仕様にした、18畳大のオーディオルームを作られた住まいも実現しました。
この住まいは、この部屋以外は広いワンルームとなっており、通常のマンションではありえない、オリジナルな間取りと仕様になりました。




トップハウスのこの家は、高い天井高さを生かした大空間を感じる事のできる住まいとなりました。
海外居住の長かったご家族で、海外で購入された家具が大きく、日本の住まいには合わないということで、その家具に合わせて設計を行いました。




こちらの住まいも海外に良く行かれる方で、海外で購入されてきた小物が活きるようなインテリアをイメージした住まいとなりました。




こちらは壁面収納を多く確保して、すっきりと暮らすことができる住まいです。
右側の個室は2つの扉を持ち、将来子供の成長過程に応じて2部屋に仕切ることもできるように、可変性を持たせています。




以上のように、個々の設計内容も、よりバリエーションの幅の広いものになってきました。
塚口コーポラティブハウスでは、間取りの可変性にこだわられた方々が多くおられました。
スケルトン定借という、基本的に永住志向の住まいを取得するにあたり、個々のライフステージに応じた暮らし方をイメージすると、自ずから可変性のある、柔軟な住まいに辿りついたようです。



実際に個別設計を進める中で、従来のnLDKという間取りに対する問題意識を持たれている方々も少なくない事を実感しました。現在世の中で問題視されている家族関係の希薄化や個々のコミュニケーション能力の低下は、今や一般的であるnLDKという間取りの影響もあるのではないかと教えられました。


「住まいに住み方を合わせるのではなく、住み方に応じた住まいを作る。」



これができるのはコーポラティブハウスの大きな魅力の一つです。
一つ一つ、新たな事業に取り組むごとに、コーポラティブハウスの持つ可能性に気づかされます。



さらに、本事業では、マンションの持続可能性について深く考えさせられました。
スケルトン定借を知れば知るほど、一般の分譲マンションの限界と向き合うことになります。
そして、一般の分譲マンションが、唯一持続可能性を持つための命綱である合意形成が、積極的に機能しない方向に向かってマンション分譲事業が行われている現状も見えてきます。



そんな中で、合意形成を担保する方法としても、コーポラティブハウスの持つ可能性が見えてきました。コーポラティブハウス事業を進める際の合意形成手法は、入居後のマンションの維持管理運営にも活かすことができるはずです。そういう意味では、コーポラティブハウスはマンションの維持管理運営における合意形成を円滑に図るためのシミュレーションであるという見方も可能です。このような視点を自覚して、コーディネーターとして事業運営に関わることが、コーポラティブハウスの持つ可能性を、より大きくしていくことに繋がるのではないかと気づきました。

2012年6月26日火曜日

今までの取り組み(スクウェア六甲)

渦森団地17号館で建替え決議を行ったころ、住宅再建に関する新たな相談を受けておりました。
阪神淡路大震災における被害の非常に大きかった、JR六甲道周辺では広範囲で区画整理が行われておりましたが、その周辺地域は区画整理のような具体的事業に向けた法的な網がかけられておりませんでした。
しかし、逆に言うと区画整理地域内は10年越しの事業の中で位置づけられている為、元々住んでいた所に戻ってくるためには長期間待ち続けるしかありませんでしたが、区域外においてはすぐにでも事業着手することができる状況でした。さらに、住宅市街地総合整備事業区域に指定され、共同化事業等する際には補助金が交付される等、事業化促進の政策が取られていました。

そんな区画整理地域外のエリアで、古い長屋が混在する八幡商店街は高齢者や廃業している店が目立つようになっていましたが、阪神淡路大震災により壊滅的な被害を受けました。老朽化したアーケードが設置されていましたが、震災で大きな被害を受け、撤去されることとなりました。
この地は駅に近く、徒歩圏内にほとんどの生活利便施設が存在する商業地域です。しかし、商店街としての活気はすでに失われていました。




この八幡商店街沿いの二階建店舗付住宅5軒長屋が阪神淡路大震災で全壊し、震災直後より神戸市からコンサルタントが派遣され調整しておりましたが、居住者はご高齢の方が多く、震災で倒壊した家屋の下敷きになって背骨を骨折して目が見えなくなってしまった方等もおられ、それぞれが仮設住宅等にバラバラにおられたので意向調整するのに時間がかかっていました。

1軒毎に個別再建するにしても、1軒単位の敷地面積は小さく必要面積を確保しようとすると平屋では難しい状況でした。しかし、地権者はご高齢で、2階建てで住宅再建しても、2階を有効に利用することはできないようでは意味がありません。
結局、この敷地はそのまま放置して市営住宅等に入る事等も検討されていましたが、時間が経つにつれて、やはり住み慣れた場所で長年ご近所づきあいしてきた方々の近くに住みたいという希望が募ってくるばかりでした。


このように、いかなる事業が可能か方針を検討する段階で、地権者間の調整をおこなってきたコンサルタントから相談を受けました。


当該地は商業系の用途地域に位置するため、容積率400%、建ぺい率80%と高度利用することができました。そこで、地権者の希望に応える方法として、等価交換方式により、5軒長屋全体で共同化(マンション化)を図り、保留床を売却することで従前地権者の負担を低減する方針に収束してきました。


当初は一般的な共同再建事業と同様に、事業協力者となるディベロッパーを誘致して事業推進を図る方法を考えていました。
しかし、従前地権者が5軒で、等価交換により建設するマンションが12戸程度では事業規模が小さすぎ、ディベロッパーを誘致すると事業者経費が嵩みすぎて事業性が見込めない事がわかりました。
そもそも、保留床が5戸しかない状況で、ディベロッパーを誘致する必要があるのだろうか?
当時、住宅都市整備公団(現在のUR)にはグループ分譲制度という制度があり、震災復興で自主再建する団体に対する事業援助制度がありました。
これを利用することができないか?
しかし、既に住宅都市整備公団は分譲事業から撤退することが決まっており、保留床がある状態では支援を得ることが難しい状況でした。
保留床があると支援を得られないのであれば、予め保留床の購入者を見つけることができれば、組合施行の事業としてこの制度を利用できるのではないか?
このように考えたときに気づいたのが、これこそまさにコーポラティブハウスであるということです。

そして、震災復興事業として、キューブははじめてコーポラティブハウスに取り組むことになりました。

コーポラティブハウスに取り組むに当たり、過去の事例を調べました。
その結果、今までのコーポラティブハウスのようなやり方で事業化することは不可能であることに、すぐ気づきました。
先述のように、従前地権者はご高齢の方も多く、入院されている方もおられる状況でしたから、議論を戦わせながら合意形成を図ることはできません。
さらに、先行していた渦森団地17号館再建の経験から、直接当事者同士が面と向かって議論を戦わせても、合理的に最良の結論に得ることは難しいと感じていました。
渦森団地17号館の経験から、円滑に合意形成を得るために有効な手段は、公平中立で透明性のある第三者の専門家が関与することと、アンケートの活用であると感じていました。
そして、後に遺恨を残さないようにするには、直接的な討議はむしろ避けるべきであると感じていました。

今までのコーポラティブハウスは、直接的な討議にこそ意義があり、コーポラティブハウスの価値であるかのように伝えられてきました。我々自身も、漠然とそのようなものであると認識していました。しかし、このようにすると度重なる会議での討議が必要となり、一般的には数十回開かれてきたようです。これでは時間が自由になる人でないと参加できません。なにより参加者の負担があまりにも大きすぎます。また、前提となるルール不在の中で議論が行われるので主観の対立が発生しやすくなります。そして声の大きい人や自分勝手な人に議論が振り回されがちで、一般の方が安心して参加するのは困難です。


しかし、良く考えてみると、コーポラティブハウスは、組合施行のマンション建設事業にすぎず、直接的な討議は単なる運営方法の一つでしかない事に気づきました。このように、コーポラティブハウスを捉え直してみると、まったく違う形で、コーポラティブハウスの可能性が見えてきました。そして、具体的にコーポラティブハウスを前提として事業収支を組み立ててみると、全く問題なく本事業でも採用できることがわかりました。

本事業で組み立てたスキームは下図の通りです。
従前地権者の方々は、等価交換により、この土地に建設されるマンションを取得していただきます。面積次第では追加資金も不要で、バリアフリーの最新仕様のマンションに住むことができる組み立てが可能となりました。これこそが、従前地主の方々が希望されていた事です。
この時、従来考えていた一般分譲マンションのディベロッパー収支が、いかに無駄なコストが多いのか痛感しました。

また、事業の進め方に関しても、予め従前地権者の方々の希望内容を確認し、それを反映した計画を組み立て調整した上で、余った区画を保留床として参加者募集することにしました。また、事業運営に関しても参加者が何度も集まって喧々諤々やるようなやり方は取らず、基本的にコーディネイターを公平中立で透明性のある第三者の専門家として位置づけ、アンケートを活用して進めることといたしました。

渦森団地17号館の経験で、自由設計に対するニーズが高いことを実感していました。そこで、本事業では個別に自由設計対応することを打ち出すことにしました。しかし、自由設計対応するのは初めてなので、プランニングの自由度を高める為にスケルトンインフィルの分離を徹底して個別対応できるようにしましたが、仕様に関してはある程度幅のある制限の中で選択肢を設け、選ぶことができるようにしました。




心配していたのは、保留床となる5軒の参加者が決まるかどうかでした。
しかし、その心配は杞憂でした。
区画整理によって、10年単位で事業が進められている地域の方々の中にも、戻ってくるのに10年も待っていることが出来ない方も大勢おられました。
周辺地域に1度だけ新聞折り込みチラシを入れましたが、そのような方々が殺到され、結局1週間程度で保留床となる5軒の参加者が決まりました。

事業運営は、想像以上に順調でした。
予め事業運営に関するルールを詰めておき、意見の割れそうな内容に関しては従前地権者の意向を尊重して、参加者募集の段階で方針を示すようにしておりました。このようにすることで、意見の割れる要素がほとんどなかったことが成功の要因ではないかと思います。特にお金に関する部分については、スタートする時点で、最終段階に至るまで綿密にシミュレーションをしておりました。

そして、ほぼ予定していたコスト、スケジュールで建物は竣工しました。
本プロジェクトも、参加者の皆さんから名称案を募集し、その中から「「スクウェア六甲」に参加者自身によって決定していただきました。
竣工会には、震災で倒壊した家屋の下敷きになって背骨を骨折して目が見えなくなってしまった方も歩いて来られました。住み慣れた所で親しい方々と一緒に生活することができるという希望が元気を取り戻させてくれたという事で、住まいを復興するという事業の持つ本当に大きな力を実感させられました。

竣工会の写真


実際に本事業でコーポラティブハウスを手掛けてみて、今まで伝えられてきたのとは全く異なる可能性があることを確信しました。そして、その可能性は単に震災復興という枠組みの中だけではなく、広く一般化できる可能性があるのではないかと感じました。

これまでのマンションは老朽化すれば、『いずれ建て替えればよい』という事で、あまり長期的視点に立ってのメンテナンス性を重視してきませんでした。現在はマンション建て替え円滑化法など関連法の整備・改正でマンション建て替えは以前に比べて行ないやすくなったものの、住人の合意形成が前提となる事実には変わりはありません。社会的・経済的背景が個々に異なる住人が集まって建て替えを進める事業の困難さは、渦森団地17号館を通じて痛感していました。

従来の市街地再開発事業などは狭小地を集約し共同化することで住環境の改善を果たすことが(事業目的として)考えられてきました。しかし、メンテナンス性も十分に確保されず建て替えも困難であれば、こうして共同化された住宅も長期的には、区分所有という形に、さらに細分化した権利関係が絡み複雑で困難な状況が生み出されているだけに過ぎなくなります。
この歴然とした事実が震災で明らかになった今、これから新しく作るマンションは、実現の可能性が不透明な建て替えを前提とするのではなく、長期的なメンテナンス性に配慮したうえで、適切なメンテナンスさえ行なえばできる限り長期耐用できるマンションづくりを行なう必要があると思いました。もちろん強い耐震性を備えるというのは大前提です。


具体的な建築計画としては、純ラーメン構造(※柱と梁だけで力を負担する構造。そのため自由に壁を配置する事ができる)で計画しました。そして、スケルトン(躯体部分)とインフィル(内装部分)の分離を行い、スケルトン部分は良質なストックとなるべく、十分に堅牢な構造設計を行い、長期的な修繕計画を配慮した材料を選定しました。インフィル部分は将来の住まい方の変化に応じて容易にプランニングを変更できるよう、また設備配管など老朽化に伴い更新する必要のある部分は、容易に更新できるように設計しました。


計画地周辺は将来的に、建物が密集して建つ事が予想されます。そこで、階段とエレベーターを中央に配置し、ワンフロアー2戸配置としたことで、各住戸とも3面開放で、出来る限りの通風と採光を確保、将来的にも快適な住環境が担保されるよう工夫しています。
また、周囲の街並みを考慮し、上層階をセットバックさせることで建物のボリューム感を低減させ、住環境としてふさわしい落ち着いた外観にしています。
さらに、道路に沿った空地を設け、出来る限り植栽を配置。
街並みにゆとりを持たせると共に、潤いのある外部空間が創出される事を期待しています。


スクウェア六甲


エントランスはコンパクトにまとめました。
ここで、マンションのエントランスについて考察しました。
多くのマンションでは立派なエントランスが設けられており、中にはソファーとか設置されているものもあります。
しかし、あのソファーが使われているのを見たことがありません。
同じマンションの人が行きかう所で立ち入った話をするわけにもいかないので当然とも言えます。
しかし、あのスペースを設ける為に、当初の建築費もかかっておれば、家具代もかかっています。維持する為に電気代や空調代、清掃費もかかっています。これらすべてを負担しているのは入居者自身であることを、入居者は自覚していません。
無駄なコストを削減することで、もっと費用を合理化することができるのではないか?
実際、欧米のコンドミニアムでは、高級物件であってもエントランス等は非常にそっけないものは少なくありません。欧米人の合理的思考がそのようにさせているものと推測されますが、日本のマンションのエントランスの無駄な広さや豪華さは、単なる「見得」の可視化に過ぎないと思います。
キューブで取り組むマンションは一般的であるかどうかよりも、本質的であるかどうかを優先順位として高くおいて考えようというコンセプトに基づき、本事業ではコンパクトなエントランスを採用しました。しかし、設計上の演出の工夫により、落ち着いたクオリティーの感じられるものになりました。


スクウェア六甲


スクウェア六甲は自由設計に対する初めての取り組みであるという事もあり、非常に控えめな対応に留めました。その中でも、出来る限り入居者の希望に応えるように対応を行いました。

スクウェア六甲
さらには、このように家全体の壁面を稼働間仕切りとし、利用方法に応じて間取りを変化させることができるような住まいを実現しました。この住まいを設計するにあたり、やはりニーズの多様化は考えていた以上に進んでおり、多様化したニーズに応える住まいの提供が期待されていることを実感しました。


スクウェア六甲
これは上層階で計画したメゾネット住戸です。
マンション最大のメリットがバリアフリーである点だと考えていたのですが、このように空間を立体的に利用するニーズも存在することに気づかされました。

スクウェア六甲
 ディベロッパーが分譲マンションを計画する際、どうしても利益確保のため事業リスク低減を前提にしたマーケティングに陥りがちで、結果として最大公約数的な商品企画とならざるを得ません。このようなマーケティングの結果は、実は公約数では計りきれない失われた顧客の存在を無視しています。これに対してコーポラティブハウスは、従来のマーケティングではとらえきれない潜在需要を掘り起こし、事業化するのに適していると実感しました。




2012年6月25日月曜日

今までの取り組み(ディセット渦が森)

阪神・淡路大震災翌年の一九九六年、キューブは神戸市中央区に誕生しました。それ以来、震災により倒壊・半壊した住宅の再建に直接関わることで諸問題の本質を見極め、ここで蓄積されたノウハウを具体的な事業として展開する手法として、コーポラティブハウスをはじめとする様々な事業に取り組んできました。

これからしばらくは、被災マンションの再建事業、「渦森団地17号館」の再建に始まり、キューブが今まで取り組んできた事業についてご紹介させて頂きます。


〇建て替えか否か


従前の渦森団地17号館


神戸市東灘区渦森台二丁目にある、神戸市住宅供給公社の開発による団地、渦森団地全20棟の中の1棟「渦森団地17号館」は、阪神淡路大震災によって建物の中程にあったエキスパンションジョイントより西側の部分の杭頭が破損し建物が傾いていました。

震災後の状況

その後、住民間で再建手法が話し合われましたが、建替えと補修との間で住民の意見が二分化、激しく対立し収集がつかなくなった状態で相談をもちかけられました。その時点で概ね震災から一年を経過しておりましたが、ライフラインは復旧し、ほぼ全員が居住し続けている状況でした。


杭頭破壊の状況
状況を正確に把握するために、最初に全居住者(五十世帯)の個別ヒアリングを行いました。個別ヒアリングは 一件数時間ずつ行い、居住者全員の言い分を整理して分析しました。


建替派と補修派の意見の対立をまとめると、

■個々の経済状況による対立

■個々の思想・社会背景による対立

の、大きく2つの対立があることがわかりました。

一般的にはこのような対立関係に至るとき、個々の経済状況による対立だけが原因とされることが多く、現在の関係する法律もそれに則した形で体系化されています。しかし、実際のところは、思想・社会背景による対立が存在し、それが主要因になっている場合も多いのではないかと考えさせられました。


渦森団地17号棟には構造上の安全性に対する考え方の違い(このままでも安全、このままでは危険)も存在し、これから個々の思想・社会背景による対立が派生していました。代表的なものとして、次のようなものがありました。

①生活設計が崩れる

このまま暮せば、当初予定していた人生設計が可能なのにそれを犠牲にしてまで建替える必要性を感じない

②建物の資産価値という考え方になじめない

住まいは生活の場であって証券ではない。  その価値を増す為にスクラップアンドビルドをすることは環境保護の視点から見てもおかしい。

③家族に病人を抱えており、体力的に仮住まいに耐え切れない。


〇相互の情報開示


以上の個別ヒアリングの結果について、名前は明記せず、区分所有者の意見全部を整理して全員に公表しました。双方の考え方を公開することで建替派と補修派、それぞれの思っていることをお互いに理解してもらうことが目的です。構造上の安全性に対する考え方の違いが存在することもわかったので、構造調査を行い、その報告(このままでは危険)も同時に行いました。 

このヒアリングの内容と、並行して行った構造調査の報告、選択できる進路を中立的な立場でまとめ、すべての人に平等に状況が確認できる状況を作り、それをもって方針決議を行うことに致しました。情報の公開と共有にこだわったのは、反対者の持つ、「情報が偏っている」とか「一部の扇動者に引っ張られ建替え気分に流されている人が多くいるような気がする」といった不満と、本当に状況に流されている人に実状を充分に認識してもらい、個人の責任で判断してもらう為です。

方針決議では建替方針が可決されて、その後は建替決議にむけて進めていくことになりました。



〇晴れて全員合意へ



方針決議後、具体的な事業内容を確定するため事業コンペを実施しました。参加したのが五グループ。当方にて客観的に比較検討できるよう、提案内容を整理したうえ で再建組合がデベロッパーを一社選定しました。選定されたグループ代表のジークレフサービスは本業は神鋼不動産というデベロッパー系列の管理会社ですが、当時倒壊したマンションを建て替えた実績がありました。今後、建て替えや補修などの需要が増えると推測し、震災を機にいろいろなケースに対応できるノウハウを蓄積するために今回のコンペに積極的に参加していました。


建替え決議に向けて、基本計画を居住者と作成しました。週二、三回理事会を開催。賛成派、反対派に関係なく全員参加で急ピッチに作成しました。反対派に対しては結果はどうあれ、反対の立場をとった人にも、建て替えが決議された場合にはどのようにしたいか、自分の希望を主張する権利があり、この権利を正当に主張するためにも理事会に参加することを勧めました。このようにそれぞれの意見を尊重し、その意見ができる限り公平な形でお互い知り得る環境を徹底することで、公正な条件の下で決議がなされるのであれば、その議決案を尊重する決意を全員から得ることができました。






この建替事業にあたっては大規模団地の1棟の建替ということで、団地内環境を考慮した増床計画を行いました。17号館は北・東・西と3方道路に接し、また北側の敷地が高いなど法規制上、他敷地に比較して計画しやすい敷地でしたが、敷地条件に係わらず、すべての棟で同規模の建替が可能となる計画を行う様配慮しました。その結果、近隣住棟からも事業に対する理解を得ることができ、円満に事業を進めることができました。
完全に決裂状態にあった住人が、こうしたプロセスを経て、ようやく歩み寄ることのできる環境が整ったといえます。その後、建て替え決議では、五十件中、建て替え賛成が四十二人、反対が八人でしたが、八人の反対者も議決案を尊重して早期に賛成し、全員合意に至ることができました。晴れて、正式に建て替えが決定しました。

〇多様化する希望


建替え決議後、従前マンションの解体が始まり、並行して間取りなどの設計を進めました。ただし、一軒一軒個別に対応するのではなく、事前にアンケートにより要望を聞き取り、まず希望に合わせた基本プランを作成しました。そして、各プラン毎に居住者のグループを作り、グループ毎に基本プランに対する意見や希望を話し合いました。
この話合いを踏まえて再度プランを作成し、改めて話合うという事を何度か繰り返しました。最終的には個別の希望を踏まえたメニュープランをいくつか設定する事で、入居者が個々に希望する間取りに近いものを選択する事が出来るようにしました。


このプロセスの中で、希望の多様性を実感しましたが、再建事業という性格上、出来る限り事業を迅速に進める必要があったため、すべての希望に対して対応できる事業フレームを構築する事はできませんでした。居住者にも、その状況は十分理解して頂くことができ、皆に納得していただいた上で基本プランとメニュープランを設定する事ができました。


〇妥協点への模索


このような形であれ、最小限の多様性を確保する設定が可能となった背景には、事業協力者であるディベロッパー(ジークレフサービス)の理解と協力がありました。

従前居住者の間には、当初は多少のわだかまりがあったものの、建替え決議後は決議時点での賛否にかかわらず、居住者全員から事業推進に向けて全面的な協力を得る事ができました。 利害が完全に対立し、議論の余地が全くなかった以前の状況から一変しました。この状況に到るプロセスは大きな意味と可能性を示唆していると感じています。

直接的に利害が対立している状況では、当事者間のみで状況を打開しようとしても距離感を客観的に捉える事が出来ない為、妥協すると一方的に自らが損をしている感覚となります。また、実態以上に相手方が自分勝手で独善的である印象を持つこととなります。これはお互いに感じている事ですが、頭で理解して整理しようとしても、気持ちまでコントロールする事は困難です。このような環境下で、当事者同士が直接話し合って相互に納得できる妥協点を見出す事は非常に難しいと思います。


コンサルタントという客観的な第3者が関る事で、この関係に一つの座標軸を与える事ができます。最初に行った全居住者の個別ヒアリングと整理及び分析が、その座標軸を与える作業であったといえます。座標軸を得る事ではじめて距離感を客観的に捉える事ができます。これが納得できる妥協点に合意形成を図っていく上の必要条件であると思います。


途中からアンケートを多用した事も円滑な事業進捗(しんちょく)に有効に働きました。討議を行うと、どうしても発言数の多い一部の偏(かたよ)った人の意見が中心になってしまいます。アンケートを取ると異なる意見の人もおり、場合によってはそちらの方が多数派の意見である場合や、正当性の高いものである 場合も少なくありません。

〇経験を蓄積


特に我国では一般の方はほとんどディベートの訓練をしていないため、討議を行うと、すぐに感情的になったり、自分の意見が通るまで絶対他人の意見を受け入れようとしなかったり、逆にそのような場ではほとんど発言しない方等も多く、直接的な討議を通して参加者全員を公正平等に最大の利益を得るような結論に導く事はほとんど不可能です。

しかし、アンケートを利用して、全員の意見を収集し、この内容を整理、分析して全員に報告する事をくり返すと、冷静な環境で各々がじっくり考える事ができ、声の大小や議論テクニックの有無に振りまわされず、正当性の高い結論に誘導されます。
これらの要因が本事業の成功に大きな役割を果たしました。他にもこの事業を通じて本当に様々な経験をし、経験した事全てが、強く記憶に刻み込まれました。本事業における経験が、その後の活動に大きな役割を果たしたことは間違いありません。

ディセット渦が森のエントランス


生まれ変わった新しいマンションの名称を全区分所有者から募集し、様々な名称案が寄せられました。そして「ディセット渦が森」に決まりました。
自らのマンションの名称を自ら考えて決定する。このようなプロセスも、一般的な分譲マンションでは経験することはありません。このように、自ら参加することによって愛着が増すという事実を目の当たりにして、非常に感動しました。

総戸数50戸だった渦森団地17号館は、総戸数71戸のディセット渦が森として生まれ変わりました。
二十数戸の保留床に関しては、瞬間的に入居者が決まってしまいました。
昭和40年代に大量供給された公団型の階段室型5階建ての団地である渦森団地において、エレベーターのあるバリアフリーマンションのニーズは予想していたよりも大きなものでした。
ご高齢の方々の住み替えを想定していましたが、実は渦森台で育った子供たちが戻ってくるニーズが強かったようです。渦森台はニュータウンですが、そこで育った人々にとって、すでに故郷になっているという事を実感しました。
そして、渦森団地17号館に住んでいた人々と、新たに保留床を購入して入ってこられた方々との生活が始まりました。

ディセット渦が森の外観

〇建替えに至るスケジュール

平成8年7月上旬 建物の構造調査を行う
    7月上旬~末 入居者に個別ヒアリングを行う
    7月末 方針決定決議に向けての資料作成を行う
    9月上旬 方針決定決議を行う

    9月中旬 建替決議に向けての事業計画案作成(基本設計)

    9月下旬 事業代行者・建設会社決定(コンペ)

    12月中旬 建替決議を採択

平成9年 1月上旬 住戸内プランの打合を個別に始める

    3月上旬~ 各住戸の打合わせを終え、実施設計を始める

    3月下旬~ 解体工事着手

    5月中旬 実施設計設計終了

    7月上旬 建設工事請負契約・着工

平成10年7月中旬 建設工事終了(竣工)

     8月中旬 引渡・入居


竣工時の記念写真

〇建替えから10年以上経過して


平成22年秋にディセット渦が森管理組合の理事長から連絡がありました。
ディセット渦が森は毎年輪番で理事長を持ちまわっているそうですが、竣工から10年以上経ち、大規模修繕工事を予定しているので、大規模修繕検討委員会に出席してほしいとの事でした。
大規模修繕検討委員会では、管理会社も含む数社がプレゼンテーションを行い、大規模修繕工事を実施するパートナーとなるコンサルタントを選ぶという事でした。
キューブもその選考対象の1社としてプレゼンテーションを求められました。
プレゼンテーションの結果、弊社がコンサルタントとして大規模修繕に関わることになりました。

建替えから10年以上経過し、当時個別ヒアリングした方々とも10年以上ぶりにお会いしました。
大規模修繕工事に関しては、建替え事業に中心になって取り組まれた方々は後ろに引いて、保留床を購入して入ってこられた若い方々が中心となって進められていました。
そして、当時建替えに反対された方々も委員会に入られ、一緒に修繕に対して取り組まれていました。

あの、建替え時の様々な出来事も、従前のコミュニティーと新しく入られた方々との間の軋轢も、この10年という月日の間に溶解して、新たなコミュニティーとして機能していることに感動しました。

〇実際の建替え事業を経験して


実際の建替え事業を経験して、最も心に残った事は、マンションの建替えは本当に難しいという事です。
渦森団地17号館は、様々な幸運にも恵まれました。
そして事業進捗において、様々な工夫もこらしました。
それらをすべてクリアしたとしても、基本的には他人である家族の集合が、ある一定の方向に向かって共同で事業を行うという事は、簡単にできる事ではない事を思い知らされました。
その気持ちは、マンション建替え円滑化法が制定された今となっても本質的には変わりません。

日本の分譲マンションは基本的に区分所有という所有形態を取っています。
区分所有は基本的に共用部の運営は所有者である区分所有者で行うしかなく、その為には管理組合が機能して、ある方針に向けて合意形成できる環境が不可欠です。
しかし、日本のあまりに多くのマンションでは管理組合が機能不全に陥っており、自主的に合意形成することが困難な状況です。
その為に、老朽化したマンションは放置されざるを得ない状況になっており、このままでは今世紀末には日本中が不良ストックだらけになりかねないと感じています。
高度経済成長以来、一生懸命ストックを作り続け、ようやくストックが世帯数を上回る状況になったと思ったら、今度はそのストックが一斉に老朽化して不良化していく。
この悪夢のような状況を打開するには、基本的には既存ストックはきっちりとメンテナンスして長持ちするように大事に使わなければならないし、新たに建てる住宅は、メンテナンス性に配慮して、できる限り安価に長持ちできるように設計しなければならないと思います。
さらには、管理組合が機能して、自主的に合意形成できる環境が必要だと思います。

落ち着いて見渡してみると、このような視点で事業に取り組んでいる設計者や住宅事業者がほとんどいない事に気づきました。
そして、様々なビジネスモデルやシステムも、このような視点で見ると問題だらけであり、むしろ問題をクリアするための障害ですらあることに気づきました。
ただ、この状況を嘆いた所で、社会の状況は何も変わりません。
本質的であるかどうかよりも、一般的であるかどうかによってマーケットは判断します。
阪神淡路大震災によって本質的な問題が明らかになったにもかかわらず、その後も今までと変わらぬ住宅供給が続けられています。
まるで地震なんかなかったかのように・・・。

これでは阪神淡路大震災によって失われた6000人以上の命を無駄にしてしまいかねません。
生き残った私たちは、震災で得た教訓を踏まえて、その後に活かしていく責任があると思います。

阪神淡路大震災以来、キューブでは具体的な事業を通じて様々な提案を行ってきました。
その提案は、一般的ではないかもしれないが、より本質的であろうと考えて提案してきたものです。

既に日本の人口はピークを過ぎ、これから猛烈な勢いで人口減少の嵐に直面することは間違いありません。そういう意味では、従来型のビジネスモデルでは対応できなくなる時代は目の前に来ていると思います。そんな転換期において、一般的であることは何も価値を持ちません。本質的な価値のみが、価値として生き残っていることと思います。

これまで私どもが取り組んできた事業の数々は、昨年3.11に発生した東北地震の復興に関しても参考になることがあるかと思います。
それらを、これからご紹介させていただきたいと思います。


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渦森団地17号館の再建事業に関しては、住民の一人である村上佳史氏が、岩波書店「マンション建替え奮闘記」に詳しくまとめられています。





http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-002167-2

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E5%BB%BA%E6%9B%BF%E3%81%88%E5%A5%AE%E9%97%98%E8%A8%98-%E6%9D%91%E4%B8%8A-%E4%BD%B3%E5%8F%B2/dp/4000021672


2012年6月23日土曜日

パッケージハウスの実例:2

キューブでパッケージハウスに取り組むきっかけとなったのは、あるコラボレーションに参加したことでした。
それは2002年にスタートした、北大路まちなかコラボレーションです。
これは、複数の建築家が協調して住宅設計に取り組み事により、調和と変化のバランスが取れた、持続可能な街区景観を作り出そうという建売住宅プロジェクトでした。

実際の所、日本の住宅供給の大半は分譲マンションと建売住宅が担っています。
そういう意味では、現在の日本の景観は、分譲マンションと建売住宅によって作り上げられていると言っても過言ではありません。
建築家が珠玉の住宅を1戸実現したとしても、分譲マンションや建売住宅の圧倒的物量には対峙することができません。
逆に対峙しようとすれば、住宅としての本質から離れ、自己主張だけの強い記号と化してしまいかねません。

分譲マンションや建売住宅のデザインの貧しさに嘆いた所で状況は変わりません。
この現状は、建築設計に関わる者として、決して他人事ではなく我々自身が当事者です。
現状に問題意識を持つのであれば、自ら積極的に関与していき、状況改善に向けた活動をすべきだと考えております。

そんなことを考えていた所、本プロジェクトに呼ばれ設計者として参加する中で、戸建て住宅と景観について見つめなおすことができました。
その時、まとめた内容をご紹介いたします。


黒壁の家

北大路まちなかコラボレーション’02の概要
北大路まちなかコラボレーションが2004年度グッドデザイン賞受賞

我国の住宅を特徴づけている風土の特性として、以下のようなものがあげられます。

① 木が多い

世界の住宅は、その地域で最も廉価に入手できる素材がメインの建材となっています。西欧においてはそれが石であり、日本が位置する東アジアでは木です。地震や台風という人知を超えた圧倒的な自然の力を身近に感じざるを得ない風土と、豊富な森林資源が、我国の壊れてもすぐに再生できる木造の循環型都市を造りだしたと思います。
一方西洋の都市は、風土的に自然の圧倒的な力を身近に感じる事が少なく、石積の建物により人間が自然と対峙する形で築き上げられました。この風土が、弁証法的世界観を初めとする西洋的価値観の礎となっていると考えられます。
自然と共存せざるを得ない風土が我々日本人の感性に与えた影響は計り知れず、絶対性よりも関係性を重視する独特の価値観を生み出し、これが、現在の日本人の強みとなり弱みともなっているのではないかと思います。
近代化により劇的に流通市場が整備され、建築材料の地域性が経済の発展とともに変化し、さらにその状況も技術革新等により常に短期スパンで変化し続けることとなりました。このことが、従来の街並みを形成していた経済的合理性という潜在的ルールを混乱させ、街並みを混沌とさせることとなりました。今回のコラボレーションの目的はこのルールを建築家が意識的に設定して、人工的な仮想のルールの中で秩序ある街並みを現実化しようとする事にあると考えます。

② 高温多湿である

床の発生起源には諸説あるが、日本の湿潤な気候が床に生活するという生活様式を必要としたのは間違いありません。土間に対して床は家具に相当し、家具の上に住まう世界的に見ても稀な生活様式が標準化しました。この事が、ひいては日本人の異常とも言える潔癖さにも大きく影響していると考えられます。
また、木造の軸組み工法は、日本の高温多湿な風土において、通風を十分に確保するために有効であり標準化したものです。個々の部屋を壁ではなく建具で仕切る生活習慣が、日本人のプライバシー意識を希薄にし、共同体意識を強く持つ遠因にもなっていると考えられます。


③ 平地が少なく、山が多い

平地が少ない為、高度に密集した都市を木造で作り上げるに際し、西洋のように積層する事で密度を上げる事が出来ないので平面的に密度を上げる工夫が独自になされ、高密度な都市の中でも良好な住環境を確保するべく様々な工夫がこらされてきました。京都のように鰻の寝床状に間口が狭く奥行きの深い地型の土地に、ゼロロットで住戸が建ち並ぶ中でも、坪庭のように個々の住戸が独立性を確保しつつ自然を感じとれる工夫がなされています。
住戸単位においても空間をより高度利用するために、居室が多目的化しました。特定用途ではなく、様々な使われ方を許容する和室は究極の多目的室であると言えます。住戸内の土間は外部と内部の中間領域であり、土間に隣接してならぶ居室は、それを仕切る襖や障子によって「私」と「公」の間の距離感を段階的に変化させます。来客次第で通す深さを変える事ができ、各々の深さで土間から床に腰掛けて話をする事もできれば、完全に床に上がって話をすることもできます。このように、住まいは住まい方によって空間の性格が様々に変化する可変性を持っています。また、この工夫は、ハード面のみならずソフト面にまで及び、住まい方の作法等が作られるに及んでいます。

我国の住宅のなかでも、京都の町屋は、長い歴史の中で洗練され続けてきた様々な技術や知恵の一つの到達点です。近年において、長い間培ってきた日本人の感性と根本的に異なる西洋的な哲学を礎とする近代主義の流入と近代化の過程において、これらは否定され忘れられようとしてきました。しかし、風土が変らない限り根源的な部分まで我々の感性が変る事はありません。これだけ近代化が進んでしまった今となっては、単純に後戻りすることは不可能ですが、今だからこそ生かしうる知恵を抽出して、現代の住まい方に添う形で再構築することは、我々が真に快適と感じる住まい作りを考える上で非常に有意義であると考えます。

以上の事を踏まえ、本計画では伝統的な町屋の持つ空間の特徴を現代的に再構築することを試みました。
具体的な内容は以下の通りです。


① 外観


人工的な仮想のルールの中で秩序ある街並みを現実化しようとする事がコラボレーションの目的であると捉え、設定したルールに積極的に対応し、住戸の独自性を表現するために、ルール設定においても前提となった「京都らしさ」(注*)を直接的ではなく間接的に表現する事を試みました。まず、京都の街並みを構成している色彩が瓦による無彩色であることより設定された外壁色を無彩色とするルールに関しては、もう一方で町屋の色彩を特徴付ける軒の影及び町屋の黒さも配慮して黒壁としました。1階道路側を竪格子状の建具とする事で、影のような真黒な建物から住戸内の明かりがこもれ出ることを狙っています。この住宅はあくまでも背景であり、主役はそこに住む人です。また、主役である住む人がより豊かな住まい方ができるような舞台としてこの建物はありたいと考えています。




②床

前述のように、日本の住宅における床は、土間ではなく家具です。床は腰掛ける家具(椅子)であることが床=土間の西洋と根本的に異なる部分です。また、風土的に集中豪雨等による浸水等が懸念される京都では床が必要です。本計画では、改めて床を家具と捉えなおす事により、積極的にその段差を利用して空間の密度を高めようとしています。
リビングと中庭の間の段差は、建具の開け閉めとあわせて、外部と内部の距離を認識させる仕掛です。リビングの建具を開放しこの段差を利用して腰掛けたりすることで、「私」と「公」の距離感が様々に変化します。この距離感は、状況に応じて住まい手が主体的に選択し、住み方にあわせて変化させる事ができるものであり、その可能性は住まい手の工夫に委ねられます。
2階の和室に設けた段差は、改めてこの空間に床を意識させようとしたものです。この和室に入る際、人は自然に一旦腰掛ける事でしょう。そして入室する際に、ちょっと異空間に入った感覚を覚える事と思います。少々立つのが躊躇われる感覚。その感覚こそ我々が忘れていた床が本来持っている感覚であり、日本独自の感性の基になっている感覚の1つではないかと考えます。
バリアフリーを配慮した場合、中途半端な段差は避けるべきだが、日本の住宅における高床は風土的に必然性があり生活や習慣、風習として根付いているものなので、時として家具ともなる段差は積極的に肯定するべきものと考えます。
また、この段差を利用して、1階リビングの天井を高くとり、その段差から間接光が漏れることでお互いに気配を感じ取る事ができるように計画しています。


③土間



従来の町屋のように、住戸内に土間を奥深くまで連続して設け、外部と内部の中間領域としました。土間は外部から駐車スペース、玄関を経由して中庭に連続し、これを仕切る建具によって「私」と「公」の間の距離感を段階的に変化させます。来客次第で通す深さを変える事ができ、各々の深さで土間から床に腰掛けて話をする事もできれば、完全に床に上がって話をすることもできます。竪格子戸を全開すると駐車スペースは完全に地域に開放された空間として利用することもできるし、来客の際の2台目の駐車スペースとして利用する事もできます。玄関により、駐車の際の排気ガス等が直接中庭に吹き込まない様にも配慮しています。このように、住まい方によって空間の性格が様々に変化する可変性を持たせました。




④中庭



中庭に面して全居室を設ける事で、各居室がお互いに雰囲気が感じ取れるように有機的に結び付け、この中庭自体は空と繋がることで自然と連続し、他の隣接家屋等とは独立性を保つ計画とすることで、この住戸の内宇宙自体は住戸単位で完結しています。本計画地は従来の町屋と同様に狭い間口で奥行きが深い鰻の寝床状の敷地ですが、この中庭により、町屋が坪庭等で確保していた自然との繋がりと、住戸の独立性の両立を目指しています。中庭のしつらえは住み手自らが工夫できる様に、余計な演出は一切していません。あくまでも住宅は背景であり舞台でありたいと考えています。


⑤可変性

住み方を限定するような住まいではなく、住み手次第で様々な住み方が可能となるように可変性のある計画としました。格子戸、ガラス戸や吹抜けにより、外部空間と前庭、玄関、中庭、居間や食堂と各居室を有機的に結び付け、戸の開け閉めや使い方により空間の性格が様々に変化します。


⑥高気密高断熱

樹脂サッシとペアガラスの採用により、高気密高断熱を実現しました。従来の町屋は気密性が低く、現代人が住む為には様々な忍耐が必要です。また、音も容易に漏れるので、隣接住戸に迷惑をかけないように住む為には作法が必要となります。現在の技術による高気密高断熱を採用する事で、忍耐や作法がなくても住める住宅としました。また、リビングには床暖房を採用し、各居室毎にエアコンが設置できる計画とすることで、現代では一般的とされている住まい方が可能な様に計画しました。


⑦癒し



癒しを求める現代人が一番こだわるのが浴室です。浴室はないがしろにされることも多いが、本計画ではゆったりとした高級感のある浴室を設置し、やすらぎの空間となる事を目指しました。


⑧自然素材×新建材



本計画では、自然素材と新建材を効果的に組合せる事で、高品質で温かみのある空間演出を狙いました。フローリングは桜無垢材とし、壁・天井を珪藻土としています。珪藻土はそれ自体が呼吸をすることで、居室の湿度を一定に保ち、除臭効果があると言われています。キッチン廻りの壁はダイノックシートを利用して、存在感を主張する特徴的な演出を行いました。本計画では、建売住宅の演出の可能性を探る意味も込めて、本物の素材と偽物の素材を敢えて積極的に混在して利用し、それぞれの持ち味を生かしつつ、より豊かな空間を実現する事を狙っています。



⑨バルコニー


町屋の物干しは表道路から見えない様に裏屋根に設けられていました。一般的な建売住宅では南面接道の場合、ほぼ例外無く道路側にバルコニーが設けられており、バルコニーの並ぶ街並みが典型的な建売住宅団地の景色ともなっています。日照条件の最も良い南面にバルコニーを設けることの合理性はあるものの、道路から見えるような場所に洗濯物を干すのは町屋の奥ゆかしさからすればかなり下品な事のように思えます。本計画では中庭の2階部分にバルコニーを設けることで、日照条件を犠牲にせず、表通りから見えずに洗濯物を干す事ができるように配慮しました。また、道路面にバルコニーを設置しないことで、本コラボレーションでできる街並みが、典型的な建売住宅団地の景色と明らかに異なることが明確に感じとられるものとなることを望んでいます。


⑩縁



 2階和室前の廊下は和室に腰掛けたとき「縁」となります。単に通路部分でしかない廊下が和室との関係性により縁の性格を持つ事で、最も明るい中庭に直面するスペースとして全く異なる豊かな空間となります。元来、日本家屋に中廊下は少なく、直接繋がる部屋を取り囲むように縁が設けられ、単なる通路ではなく、庭に面する豊かな空間として計画されていました。廊下がただの通路になってしまったのは、やはり特定用途に限定して空間として仕切っていく西洋的価値観の影響と考えられます。本計画では縁が持っている豊かさを取り戻すことを目指しました。



(注*)「京都らしさ」という概念自体、それを作り出した根拠が失われつつある今となってみれば虚構であると言えます。従って、その虚構を前提としてある一定のルールを作り出す行為そのものはヴァーチャル(仮想現実的)な行為であり、人為的にヴァーチャルなヴァナキュラー(地域性)を作り出す行為に他ならないのではないでしょうか。それは、意味的にはディズニーランド等のテーマパークとほとんど変らないものです。しかし、近代化により多くの地域性が根拠を失いつつある現在、ヴァナキュラーという概念自体がヴァーチャルなものであるとも言えます。このように考えると、本計画において、風土に培われ町家に結晶された知恵を再構築するという目的と矛盾しているように受け取られるかもしれませんが、ヴァナキュラーが本質的に失われたわけではありません。表層的な意匠表現としてのヴァナキュラーが、その表現手法の多様化によって見えなくなってしまっているだけです。しかし、それで街並みを混沌とさせるのに十分である事は現在の京都の街並みの状況が全て物語っています。純粋に商業目的としてのヴァーチャルなヴァナキュラーではなく、実際に生活の場におけるヴァーチャルなヴァナキュラーの持つ意味と可能性を、この事業を通じて考えてみました。

・まちなかに個性の8棟:朝日新聞(2002.12.18)
・「町並み」で家に付加価値:京都新聞(2003.12.5)

・建築家8名が街づくり競演:住宅流通新聞(2004.3.19)
・8teamの建築家が共演:ぴゅあはうす(2004.3.4)
・京都にふさわしい街並みとは:区画整理(2004.3)
・都市型戸建住宅への提案:家とまちなみ(2004.3)