神戸北野から発信する持続可能な集合住宅 フォーラム
「パネルディスカッション」
・・・コーディネーター:公益財団法人日本建築家協会近畿支部 兵庫地域会 長尾健様
パネラー:浅木隆子様・戎正晴様・天宅毅
長尾健
それでは、私がコーディネータということなので、二部のパネルディスカッションを始めさせて頂きます。
私は、日本建築家協会という、専業で建築設計をしている人の、全国で四千人弱の団体の、兵庫県を統括する兵庫地域会の地域会長をこの三年程やっています。私自身は、北野町四丁目で建築設計事務所を16年やっております。よく建築家の世界では、「コミュニティ・アーキテクト」という「地域に根ざした建築家」が目指すべき姿ですよ、と言われています。地域会長でありながらなかなか実践出来ていないのですが、話を伺っていると、天宅さんみたいに地域と深く関わって、ここまで実践されているのは尊敬する次第です。
実は、浅木さんも、戎先生も、震災の頃からのお知り合いというか、その頃に会って以来殆ど長らくお会いしていなかったのですが、そのような絡みもありまして、若干お話させて頂きます。
もう一週間ちょっとで、また地震の時期になりますが、今日も浅木さんのスライドの中で、北野町は大きな被害を受けて異人館が被災したというお話がありました。私は、その頃は「いるか設計集団」という設計事務所でスタッフをやっておりました。色んな経緯で、「いるか設計集団」は異人館を五棟ぐらい修復させて頂き、そのうちの三棟を私が担当させて頂きました。一番大変だったのは、シュエケ邸っていう、北野地区の中でも一番大きな異人館で、それが自分の建築をやる上で何か気にかかっており、その後、独立した時にシュエケ邸が見える北野町4丁目に事務所を構えました。
震災後、いろいろ建物を見て回って、浅木さんにもそのときにお会いしたのですが、浅木さんって異人館にお住まいなんですね。あまり大きな被災は受けておられなかったのですが、漆喰の壁が落ちたりとか大変だったときに、その異人館にお伺いしました。
今回、二つの大きなテーマがあると思います。一つは、伝建地区の中に建つ、集合住宅というか、建物のあり方ですよね。それに対して一つの明確なものを見せたいという話。これが一つ。その辺は、浅木さんにもお伺いして掘り下げていこうかなと。
そして、もう一つは、先程かなり明解にお話頂きましたけれど、戎先生のおっしゃっていた、いわゆる集合住宅の持続可能性というか、ありかたですよね。
実は私も震災の後、被災マンションの再建事業に取り組みました。兵庫県の住宅公社というところへ出向しまして、41団地もの団地を住宅公社で再建したのですが、そのうち6団地を担当しました。戎先生とも、そのときに1つの建物でお世話になったのですが、あの地震で、区分所有法だけでは無いのですが、集合住宅に関わる様々な問題が顕在化し、それまでは意識していなかった様々な問題を目の当りにすることになりました。
もちろん、天宅さんとは同時並行的に、多分同じようなことを考えていたのでしょうけれども、そこからコーポラティブだとか集合住宅のあり方について色々と検討して来られたということで、震災を契機に考え出したことが、ここに一つの形になっているのかなと思います。
先程、設計の天宅さんがおっしゃっていたのですけれども、私のような、建築の設計を日々やっている者が見ると気付くのが、あれだけの規模の土地に対して、あのボリュームの建物を分節化して屋根を分け、結果的に異人館のボリュームと呼応している所。セミデタッチドハウスの二戸一の規模と異人館の規模が近いのは、たまたまなのか、その辺は周到に計画されたのか。
それともう一つ、浅木さんのお話のなかで、北野町のよさは小径が大きな役割を果たしているという話がありました。おっしゃりかけて時間切れになってしまったのですが、今回の計画の中にも、既存の北野の小径からうまく連続していくように、敷地内に小径が張り巡らされているわけですよね。そういったことで多分、街のスケールともうまく合わせていっているところもあると思います。小径の良さによらず、北野町にお住まいの中で、この街の良さについて、もう少しお話し頂けたらと思います。
浅木隆子
すみません。先程、慌ただしく北野のことを申し上げましたけれども、北野って、小径が沢山あるんですね。小さい径と書くほうの小径なんですけれども。どうして、小径かと言いますと、畑の間に里道ってありますよね、その里道を外して、畑を住宅にしていったんです。昔は汲み取り式ですから、お互いの家は邪魔にならないように、里道を通って肥を汲んで、肥取り道のような形から始まりました。それが僅かですけれど広がって、1m半ほどの小径がずーっと各家の間を繋がるように広がっています。
居留地は、仕事をする所ですが、車が入る、馬車が入るということで、きちっと正方形に整備されて、下水も全部出来上がって、完成した都市として整備されました。だけど、山手の雑居地は、上からの景色のいい土地に、あちこちにばらばらと建設されました。望郷の念から港を見渡すことが出来るように、みんな南向けに家を建てた時に、道路の事なんか考えていなかったんですよ。隣に行けたらいいぐらいの間隔で家を建ててますから。
しかし、その小径が、逆に北野のコミュニケーションを生んだんですね。というのは、北野というのは、日本人がメインで住んでいる所に、いきなり外国人が来たので、言葉も分からない、隣に目の色が違う、髪が違う人が来てる、子供もキャーキャー言っているけれど、何語をしゃべっているか分からない、という感じです。
そんな中、お正月になると、日本人の家ではお餅をつきます。そして玄関にお飾りもします。すると、外人はそれを見て、え、あれ何してるの、という話になります。小径だから見えるんです。すると、あれはお正月だって。日本人は、こうやって餅ついて、ちょっと食べてみたり、言葉は分からないけれど、「どうぞ、どうぞ」ということになったり。
向こうは、ケーキを作ります。クリスマスにケーキ焼いたりしているけれど、なんかいい匂い、バニラの匂いしているけれども、あれ何? まあ、どうぞ。どうぞが出来る小径だったんです。それと同時に、相手を気遣える小径だったんです。
日本って、建築で言うと木とふすまの建築ですから、相手を気遣うという気持ちが凄くあったんです。となりにお婆さんが寝ていたら、今日お婆ちゃん風邪ひいているから、隣で騒いだらだめよって。障子一枚挟んで、気遣いがあったんですね。それが、小径、気遣い。日本人は おもてなしだけじゃなくて、本当に 気遣いのある国民だったんです。それが、やっぱり外国人にも分かって、お互い、そういう交流が出来たんです。
今回、「神戸ハウス北野」の中を見せて頂いたら、建物は大きな屋根で、間に小径が通っているんですね。あ、これは、やっぱりここに住まわれる方が、一つの小径を通じて、そして北野の間の道、小径と全部つながるような、上手な設計しているなと言うことを思いました。昔、香港上海銀行の敷地だったのをよく知っていまして、その頃、周辺の敷地を含めて、あと四件。全部で五件、香港上海銀行の役員用邸宅が建っていました。家の真ん中に大きなプールがあって、みんなでそのプールで泳いだりしました。私も小さいとき、アメリカンスクールに行っていましたから、その関係で、遊びに行ったお家の事を覚えています。
そこにマンション計画が立ち上がり、60戸ものマンションが出来たら、とてもこんな狭い小径で、それだけの車の出入りを吸収できないと言うことで、地元で署名運動をしまして、マンション計画はなくなりました。その時、元々この地域が持つイメージを天宅さんに言いまして、こんなんだったらどうかな、と言うことで提案されたのが「神戸ハウス北野」です。計画の中に北野のイメージがあって、昔の香港上海銀行の役員の邸宅に近いものを、ということで、小径も生かして頂いて、いいものが出来たのではないかと思います。
オリーブの木も、実がなりますので、その実は採って、地元で塩漬けにして、皆さんに配ったりしています。それも、一つのコミュニケーション。小径にオリーブがなり、その実を採って、お互いが塩漬けして食べあうというのも、一つのコミュニケーションだと思います。このように、北野というのは、小さい小径が街の命になっているのではないかと思います。
長尾健
ありがとうございます。車の通れない道が結構北野には多くて、結構その道が心地いいんですよね。
下の道は車の通り抜けが結構多いんですけれど、北野の街を歩く時には車の通れない道を歩くことが多くて、神戸ハウス北野は、車の通れない道にちょうど面しているので、随分前から、どんな計画になるのかと気にはなっていたんです。そういう小径とも、うまく連続性を出されているという事ですね。
そこで、天宅さんにお伺いしたいんですけれど、事業主さんが当然おられるわけで、今までは、もっと戸数の多い集合住宅の計画が、何度か立ち上がっては挫折していったんですよね。もちろん、結果的に、こういう規模でやると、凄く地域の方にも喜ばれてということが分かるんですけれども、事業をされる側からすると、事業性が判断されるところだと思うんですね。その辺りが、どういう風になっているのかお話が聞けたらと思います。
天宅毅
浅木さんがお話されたように、何度か、この敷地はマンション計画が過去にあり、地域の反対によって事業が頓挫したんですけれども、地域で反対し続けるっていうのも限界があると思うんですね。専門的な話になりますが、この土地は建築基準法42条二項道路に面しているので開発が出来ず、一棟の建物しか建設することが出来ない土地です。普通に考えると、マンションしか立てることが出来ず、開発道路を通して複数の戸建てを建てるということが出来ない土地なんです。
土地所有者はこの土地を売却することを決めていらっしゃる中で、600坪ものマンション計画しか出来ない土地があり、地域としてマンション計画に反対し続ける状況が継続する。とにかく土地を売りたい方は、買ってくれる人がいれば、少しでも早くお金に換えたいという状況が継続するので、いずれたちの悪い事業者が購入して、伝統的建造物保存地区であるにも関わらず、必要な許可を得ずに強行して建物を建ててしまったりするようなことになってしまっては元も子もありません。
浮いている状態でほっておくよりは、何らかの形で着地させておかないと、心配が後々に残るという話をしている中で、京都の風致地区や美観地区で弊社が手掛けた、街並みに合わせたプロジェクトのお話しをする中で、浅木さんをはじめとする、地域の方々からご支援を頂くことができました。
事業性を考えると、接道条件の悪い、施工条件の厳しいところで鉄筋コンクリートの工事をしようとすると、ものすごく建設コストがかかるんです。今回は、木造の建物で、大型の工事車両が進入しにくい所でも、臨機応変に工事が出来る構造体をとっているものですから、実は鉄筋コンクリートの大きいマンションを建てるよりは、環境負荷を与えないものを作ったほうが、結果的に事業性が高まるというような、ひっくり返ったような状況が発生しています。ですので、事業性そのものを毀損してやっているわけではありません。
そういう意味では、今までのように、ただただ闇雲に規制の許す最大限マックスのものを計画するだけでなく、これだけ建築費等が高騰してきている中では、違う方向性の中に、かえって事業性が高まったり見込めたりすることも生まれてくるのではないのかな、ということが、今回の事業を通じて発見できたのではないかなと思っておりまして、そういう意味でも、ちょっとエポックな物件だったんではないかと感じています。
いずれにしても、ほとんど前例の無い、この企画をご理解頂いて、事業主として事業をして頂いた京阪電鉄不動産さんが、よく事業化を決断して下さったなあというのが、非常に感謝するところです。事業主さんがやると思ってくれなかったら、いくら良い企画であっても絵に描いた餅で、実現しなかったわけです。そういう意味では、心から感謝して、しすぎることは無いと感じております。本当にありがとうございました。
長尾健
先程の戎先生がお話頂いていたように、震災復興の時の経験では、お住まいの方々が区分所有法を十分にご理解していない状況が割と多かった印象があり、建替え時に困難を伴ったというイメージしかありませんでした。
先程のお話の様に、いやいや鉄筋コンクリートで大きなマンションをめいっぱい建てるんじゃなく、こういうやり方でやっていくという時に、区分所有法をうまく使うことによって、景観を維持していくとか、持続可能にしていくとか、そういった状況を実現できるというのは、本当にびっくり、なるほどなと思いました。どういう時点で、こういう事が出来るというのに行きつかれたのですか。
先程のお話の様に、いやいや鉄筋コンクリートで大きなマンションをめいっぱい建てるんじゃなく、こういうやり方でやっていくという時に、区分所有法をうまく使うことによって、景観を維持していくとか、持続可能にしていくとか、そういった状況を実現できるというのは、本当にびっくり、なるほどなと思いました。どういう時点で、こういう事が出来るというのに行きつかれたのですか。
天宅毅
きっかけは、今回このプロジェクトの施工をして頂いているゼロ・コーポレーションさんが、京都で事業化された「華り宮 嵯峨二尊院」という物件がありまして、これは、嵐山の美観地区内のプロジェクトでした。
そのプロジェクトに先駆けて、弊社で「宇多野コーポラティブハウス」というテラスハウスの団地型のものをやったことがあって、それは、定期借地権だったので、その定期借地権の契約の中で、いろんなルールをコントロール出来るっていうことでやっていたんですけれども、ゼロ・コーポレーションさんから、今度は分譲でやってほしいっていう話がありました。分譲で建物をコントロールするには、どうすれば良いか、非常に難しくて、様々な方々とディスカッションしたりしましたが、なかなか糸口もつかめませんでした。
そんな状況の中で、戎先生ともディスカッションしていた時に、マンションだったら建物をコントロール出来るのではないかという話になりました。
そして、マンションとは何かという話になりまして、区分所有法を読み解いていくと、コントロールできる対象は専有部分のある建物ということで定義されているんですね。
そこで専有部分のある建物とは何か?ということになって、宇多野コーポラティブハウスの登記を見ると、2戸1の住棟が専有部分登記されていました。
そこで、2戸であっても、100戸であっても、専有部分のある建物であれば、区分所有法上は規約で建物をコントロールできる対象になるということに気付きました。
そのプロジェクトに先駆けて、弊社で「宇多野コーポラティブハウス」というテラスハウスの団地型のものをやったことがあって、それは、定期借地権だったので、その定期借地権の契約の中で、いろんなルールをコントロール出来るっていうことでやっていたんですけれども、ゼロ・コーポレーションさんから、今度は分譲でやってほしいっていう話がありました。分譲で建物をコントロールするには、どうすれば良いか、非常に難しくて、様々な方々とディスカッションしたりしましたが、なかなか糸口もつかめませんでした。
そんな状況の中で、戎先生ともディスカッションしていた時に、マンションだったら建物をコントロール出来るのではないかという話になりました。
そして、マンションとは何かという話になりまして、区分所有法を読み解いていくと、コントロールできる対象は専有部分のある建物ということで定義されているんですね。
そこで専有部分のある建物とは何か?ということになって、宇多野コーポラティブハウスの登記を見ると、2戸1の住棟が専有部分登記されていました。
そこで、2戸であっても、100戸であっても、専有部分のある建物であれば、区分所有法上は規約で建物をコントロールできる対象になるということに気付きました。
戎正晴
持続可能な集合住宅という、変えようと思ったら、変えられる、しかし、自由には変えられない。残すべき物は残す。これを実現するためには、それぞれの建物を、例えば、団地の管理組合がコントロール出来ないといけないわけです。ところが、戸建ての団地の場合、建物の一つ一つについてルール化することが許されていないんです。
区分所有法は、全ての建物が区分所有建物であれば、その建物についてもルール化することが可能だというふうになっているわけですね。つまりいわば、それぞれの建物から管理を取り上げて、団地管理組合が一括して全ての建物を管理するということが認められている。その仕組みを使えば、建物についてもコントロールをすることが出来るのではないか、というのが一つですね。そのためには、さっき天宅さんがおっしゃったように、区分所有建物にしないといけない。これが、欠点といえば欠点なのですが、区分所有建物にしない限り、そういった団地管理組合の規約で建物を縛ること自体が、認められないと言うことですから、これはどうしても最低二戸の区分所有建物にするしかない、ということですね。
それと、区分登記をするだけではなくて、所有者が最初から一人で、一人が動かないという仕組みで作ってしまうと、これまた、区分所有建物性という、法律上の理論に、つながっていくので、どうしても、所有者の異なるA、B、の所有物としてスタートすることが、法律的には必要になってくるということがあります。ここが欠点といえば、欠点かもしれないですが、持続可能な集合住宅ということを可能にするということであれば、その欠点を上回るメリットがあるのかな、ということですね。
それから、建物全部壊すのは建替えだけれども、建物の一部を壊してやりかえるのは、建替えでは無くて、改修とか、共用部分の変更になるんですね。共用部分の変更は団地管理組合で、ルール化することが可能です。そこで、木造のマンションにするということで、戸建て住宅と同じように、その部分だけ改修するということも、ルールの中で可能にすると。これも木造マンションの一つのいいところかなと思います。木造のマンション団地なんていうと、普通ピンとこない訳ですけれども、こういう形で計画化することによって、先程から出てる、景観維持や、様々なメリットを生むことが可能になったと、こういうふうに思っています。
長尾健
ありがとうございます。一戸単位で、建替えではなく改修が出来ることで、老朽化したり、いろんな間取りが、状況に応じて変えて行け、持続可能性が生まれてくるのだと思うのですが、まだ出来ていないかもしれませんが、管理規約でどのような事をルール化しているのか。例えば、建築面積や高さ等、どういう縛りをかけておられるんですか。外観の色彩とか、ちょっと教えて頂けますでしょうか。
戎正晴
詳細なことは、後で天宅さんからお話し頂けるとは思いますけれども、普通のマンションでも、専有部分の中は、専有部分のリフォームで、管理組合の承認を取って、一定の範囲でやれますよね。今回もそれと同じです。専有部分の中に関しては、そういう形で管理組合で承認していく。承認の時のルールも、こういうものであればOKと言うのが決まっている。
外側の共有部分に関しては共有部分の変更になりますから、これも団地管理組合で、こういうやりかたであれば、みなさんで4分の3で決議をして、というような話で可能になっています。先程言いましたように、一定の景観とか色彩とか形とか色彩とか、あるいは、大きさだとか、そういったものは、かなり細かく規約の中で定められていて、その範囲であれば、という形になっているはずです。
外側の共有部分に関しては共有部分の変更になりますから、これも団地管理組合で、こういうやりかたであれば、みなさんで4分の3で決議をして、というような話で可能になっています。先程言いましたように、一定の景観とか色彩とか形とか色彩とか、あるいは、大きさだとか、そういったものは、かなり細かく規約の中で定められていて、その範囲であれば、という形になっているはずです。
天宅毅
既に販売を開始しているので、もう管理規約は出来ているのですが、その中で基本的に床面積は変更できない。床面積が変更できてしてしまうと、議決権割合が全部変わってしまうので変えることができないような前提にしております。建替えはできるけれども、床面積が変わらない範囲内、壁面線とか外部の仕上げ材、色、は変えることができないという規約になっています。
計画地は伝建地区内ではありますけれども三階建てまでは建つところです。現在、全て二階リビングで屋根越しに海を見渡すような計画になっている関係で、今の二階建てを三階建てにしたりすることは出来ない規約になっております。逆に言うと、今得られる眺望は、将来もずっと担保出来るということで、その街区全体での居住性そのものは、維持されるようなルールにしております。
計画地は伝建地区内ではありますけれども三階建てまでは建つところです。現在、全て二階リビングで屋根越しに海を見渡すような計画になっている関係で、今の二階建てを三階建てにしたりすることは出来ない規約になっております。逆に言うと、今得られる眺望は、将来もずっと担保出来るということで、その街区全体での居住性そのものは、維持されるようなルールにしております。
長尾健
ありがとうございます。街区全体、街区の居住性だけでなくて、既存の連続していく山側の人達からの、眺望というか環境も基本的には守られる。だから将来もほぼ変わることなく、続いていくだろうという、そういうことですよね。
天宅毅
そうですね。ただ、これはあくまでも管理規約なので、逆に100年後200年後に、全然価値観が今とは違う世界になってしまい、現在決めているルール自体が陳腐化した時には、区分所有者の合意で規約を変えることができるんです。みんなで三階建てを建てることができるように変えよう、ということにもしなれば、自分達の合意によって変更出来る柔軟性は残しております。規約で定めているルールの変更に対する判断を、住まわれている方々自身に委ねることが出来るのが、バランスの取れた柔軟性ではないかなと考えています。
長尾健
残り時間がもう少なくなって来たんですけれども、震災から20年ちょっとですね。あの時に、いくつかの異人館が解体されて、その後しばらくは何かそれなりに放置されていましたよね。このところ、20年以上経って何か、北野の地区の中にも結構更地になっていく所が、ぽつぽつと、よく出て来ていると思うんですよね。今回の敷地もそうですけれども。そのへんで、浅木さんに、震災以降ずっと見てきて特にこれから、北野のこの建物を含めてですけれども、どうしても変化していかざるを得ない部分というのはありますから、そういうところに対して、この20年を含めて、お気持ちをちょっと聞かせていただければと思います。
難しい質問なんですが、震災から22年経ちますと、皆が、震災の時の思いも忘れて、何かそのままずっと平穏に来たような気になっておりますけれども、あの時は、本当に住民が一致して、外国人クラブなんかも、全部日本人にも開放してくださりました。
今、地域の人口の4分の1は外国人ですから、本当に、石を投げたら外国人に当たるような地域です。震災のときも、その人たちも一緒に組んで、本当に色々してきたんですね。このようにコミュニケーションの良い街ですから、以前は観光客に荒らされて、観光地化が嫌だとかあったんですけれども、観光客がいなくなった震災の後というのは、反対に家が潰されていくようになったんですね。
お金を生んでいた建物が、お金が要る異人館になって、じゃまもの扱いと言ったら悪いですけれども、神戸市さんが潰すお金は出したんです。もうちょっとあの時保存にお金を出してあげたら、もっと建物が残ったという思いがずいぶんあるんですね。そういったこともあって、少しづつ、私達は建物の形見といいますか、潰されていく建物に行って、あの暖炉の飾り下さい、階段の手摺下さい、ステンドグラスも、っていうふうにして「街の記憶を残す運動」を展開し、倉庫を作り保存してます。
やはり、高齢化が進んでいますから、離れていく人達がおられ、土地が売買されたりしています。景観地域ですから、高さ制限、色の制限、そういったものはきちっとありますし、私達も監視していますから、あまり無茶なことは無いと思いますけど、やはり、このまま、昼間は観光客が多くても、夜は静かな北野町に戻る町ですから、昔の教訓を心に秘めて、良いコミュニケーションが育まれる町でありたいと思います。外国クラブなんかは、フリーメイソンもありますし、神戸は本当にいろんな宗教もありますので、文化遺産に向けて、勉強しながら活動していきたいと思っております。
長尾健
どうも、ありがとうございました。時間が来てしまいました。駆け足続きの話で、お聞き苦しい所もあったと思いますけれども、これで二部を終わらさせて頂きます。
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