2012年7月4日水曜日

今までの取り組み(アンビエンテ北野)




この計画地は、神戸は北野町の異人館街に位置し、異人館街の中心にある「風見鶏の館(トーマス邸)」の前の公園から東西に伸びる石畳の小路を東に歩くと、突き当たりに位置します。異人館街の中でも特徴的な土地です。





ここには、明治40年築の洋館と洋菓子メーカーの社員寮が建っていました。この洋館には北野町が全国的に有名となるきっかけとなった、昭和52年に放送されたNHKの朝の連続テレビ小説「風見鶏」のモデルであるドイツ出身のパン職人と、現在洋菓子メーカーを経営するその子孫が阪神淡路大震災まで住んでいました。しかし、阪神淡路大震災で被災し、洋館は解体、部材は市に寄贈されました。その後、洋館は民間企業が部材を譲り受け、北野坂沿いの別敷地で「北野物語館(スターバックス)」として再建し、登録文化財になっておりますが、北野とともに歴史を歩んできた物語を持つこの地には洋菓子メーカーの社員寮が被災した状態のまま残されていました。


三宮から徒歩13分、新神戸から徒歩5分と、主要ターミナル駅から徒歩圏に位置しながら、真後ろには六甲山が控え、数分で渓谷に入って行く事ができ、遠くは関西空港まで海を望む事ができる眺望を持つ、環境と利便性が両立した非常に良好な住宅地です。しかし、敷地の持つ諸条件から一般的な手法での事業化が困難で、被災後何年もそのまま放置されている状況でした。そこで、ここに住みたいと願う人々が集まり、この地にコーポラティブハウスを計画する事で、地域の持っている優れた住環境に寄与し、個々のライフスタイルにあった独自の住居を取得することを目指すことになりました。




この敷地は、北野町独特の43条2項道路に約7mしか接道しない約160坪の東西に長いひな壇状の変形敷地で、日影規制の他、都市景観形成区域内ということもあり13mの高さ制限や1mの壁面後退など非常に規制が厳しく、建売住宅や分譲マンション等一般的な住宅供給事業には適しませんでした。 観光通りから少しそれていることで観光客相手の商業用利用もしにくい状況でした。




「風見鶏」によって一躍全国的に脚光を浴び観光客が訪れるようになった北野町が、北野町らしい景観を形成し、良好な生活環境の維持及び育成を図る為に昭和54年に都市景観形成区域が制定され、北野町の乱開発を抑制してきました。

しかし一方で、その規制が一般的な事業を困難にし、地域への資金流入の障害となり、阪神淡路大震災後、北野町の空洞化が進みかねない状況が生まれていました。規制がかけられてから約30年間、北野町1・2丁目では新規の分譲マンションは全く供給されていない状況でした。


本事業は、コーポラティブ方式を用いる事により、この地において可能な、また期待されるべき住宅供給の一つのあり方を提示したいと考え取り組んだものです。「風見鶏」のモデルとなり、都市景観形成区域制定のきっかけとなったこの地から、都市景観形成区域の主旨に沿った住まいのありかたを提案することで、北野町の活性化に繋がる事を期待しています。




コーポラティブ方式で事業化するにあたって、住宅としての基本的性能を確保した上で、土地のポテンシャルを最大限生かすよう工夫しました。 土地形状的に日影規制が厳しく、これをクリアした上で建物のボリュームを最大限確保するために勾配屋根としました。この勾配屋根には年月と共に建物に風格を与える様天然石スレートをうろこ状に葺き、この屋根が建物の外観を特徴づけています。敷地形状が変形なため、相当複雑に折り重なる屋根形状となりましたが、このことを活用して建物を分節化し、建物全体のボリューム感を低減することで、北野の地域が持つ北野らしい雰囲気に調和するよう配慮しています。

塗壁調の外壁にはロートアルミの手摺を設置し、北野町独特のエキゾチックな雰囲気を演出しました。コーポラティブハウスで実現する様々な住まいにより生まれる開口部のバリエーションも建物に変化を与え、全体の統一感と多様性のバランスを確保しています。

4階には共用テラスを設けており、ここから六甲山や神戸市内を一望することができます。このスペースを起点として、入居者間のコミニュケーションが日常的に生まれ、健全なコミュニティーが育まれる事を期待しています。

配置図兼1階平面図、2階平面図


3階平面図、4階平面図

新聞折込チラシや計画地近傍へのチラシ配布を通じて事業への参加者募集を行い、集まった参加希望者で「北野町コーポラティブハウス建設組合」を結成し、事業を推進しました。建設組合員は周辺地域住民を初め、ニュータウンの庭付一戸建からの住替え、二世帯居住や賃貸からの住替え等様々で、世代構成も20代から70代まで各世代が全て含まれ、従事する職業や就労形態も様々で、非常に多様性の高い人々の集まりですが、お互いに協調して事業を完遂し、それぞれが個々のライフスタイルにあった住戸を取得しました。コーポラティブハウスという参加型の事業を通じて得られた経験が、住みはじめてからの管理運営や地域の自治活動への積極的な参加に繋がる事を期待しています。


アンビエンテ北野 地鎮祭
建設組合員が参加して行った地鎮祭

アンビエンテ北野のスケジュール

外観的な特徴としては、年月と共に建物に風格を与える様天然石スレートをうろこ状に葺いています。


敷地形状が変形なため、相当複雑に折り重なる屋根形状となりましたが、このことを活用して建物を分節化し、建物全体のボリューム感を低減することで、北野の地域が持つ北野らしい雰囲気に調和するよう配慮しています。



塗壁調の外壁にはロートアルミの手摺を設置し、北野町独特のエキゾチックな雰囲気を演出しました。コーポラティブハウスで実現する様々な住まいにより生まれる開口部のバリエーションも建物に変化を与え、全体の統一感と多様性のバランスを確保しています。



西側2階には株式会社キューブが入っています。
当初より株式会社キューブが入る予定をしていたので、マンション内に入る事なく、直接前面道路から階段でアクセスすることができるようにしています。
伝統的建築物に指定され、現在結婚式場として運営されている「サッスーン邸」を、事務所から借景として臨んでいます。



1階住戸にはテラスを設け、外部と一体化して使うことができるようにしました。
また、この住戸のリビングはシアタールームとして、120インチのスクリーンと、サラウンドスピーカーが実装されています。




こちらは2階の住戸ですが、一部床を上げることで、中間階なのに掘りごたつを設定しています。
段差を利用して、収納も確保しました。
モノトーンでまとめた住まいですが、オリジナルでお洒落な玄関と洗面が特徴的です。


先ほどと同じ2階のもう一つの住戸です。
先ほどの住まいとは対照的に、ビビッドなオレンジを基調としたデザインの住まいです。
廊下をギャラリースペースとして活用する為に、ストイックなデザインとしています。
IT関係のお仕事をされており、リビングの一部に行燈を模したワークスペースを確保しました。


キューブの上に位置する、3階の住まいです。
キューブと同様、「サッスーン邸」を借景として臨み、窓からは緑があふれています。
勾配天井を活用して、和室にロフトを設けて立体的に利用できるすまいを実現しました。
天然無垢材を多用し、木のにおいが漂う住まいです。


4階は1住戸だけなので、360度神戸を見渡すことができる絶景の住戸です。
ラグジュアリーホテルのような内装を志向され、家具もすべてオリジナルで制作されました。
南向きに神戸を見渡す大きな窓を持つ浴室は、ジャクージ社のジャグジーバスにシャワーブースを設置しています。
フル装備のキッチンの窓からも、神戸の夜景を一望できます。


本プロジェクトは、まさに「売却しようとしている土地があり、そのエリアに住みたい人も居るにもかかわらず、今までそれを繋ぐ事業手法がなかったので住宅供給がなされていない良好な住環境の地域」で事業化することができたのではないかと思います。

この地域では過去30年にわたり分譲マンション供給がなされてこなかったので、マーケティングリサーチをしても空白地帯でした。
しかし、事業を通じて確実に需要が存在することが確認できました。
今まで供給がなされてこなかったのは、需要と供給を繋ぐ事業手法がなかったからです。
このような地域で事業化を図ることは、売主、買主双方の希望を叶えることに繋がりました。

そして本事業を通じて、地域のポテンシャルアップにも繋がり、地域からも歓迎される事業に成り得る事を実感しました。

この地域は、伝統的建築物群保存地区や、都市景観形成地区など、地域住民と行政が協働して地域景観をまもりそだててきた地域として有名です。従って、コーポラティブハウスと言えども、新規のマンション建設事業であることには変わりはないので、参加者募集に先駆けて、地元自治会に接触し、事業に対する理解と協力を求めました。事業推進者としては、事業を行うことで従前環境に変化をもたらすので地元からの反発も予想していたのですが、コーポラティブハウスの事業主旨をご理解いただき、非常に好意的に受け入れてくださりました。なんと、募集活動にも応援していただきました。定住志向で地域に参加しようとするものに対しては地域はWELCOMEだったのです。これは、今まであちらこちらで見てきた一般的な分譲マンション事業において地域と対立する構図とは全く異なる展開で、驚くとともに色々と考えさせられました。

一般的な分譲マンション事業の事業主はマンションディベロッパーであり、基本的にマンションディベロッパーは利益を生むために事業を行っており、マンションを売却してしまえば地域との関係は全くなくなってしまいます。そういう意味ではマンションディベロッパーは事業を行う地域に対する責任は負っておらず、利益を生み出すために予定通り事業が完遂できれば良いというスタンスが基本です。従って障害を速やかに解決するためには金銭解決も行います。そのような事業に対して地域が対立するのは、いわば当然の事であり、マンションディベロッパーが利益を生み出す事に対して、どんな事であれ地域が犠牲を払う義務はないという意識があるからだと思います。
コーポラティブハウスは、住む人が自ら主体的に行う事業なので、住む人はマンション完成後も地域に対する責任を負うことになります。この点が、自らの利益の為に売り逃げをするマンションディベロッパーのスタンスとは全く異なります。
震災後放置されていた洋菓子メーカーの社員寮は、地域でも問題になっていました。それが自ら建設して住む人々によって新しマンションに生まれ変わり、地域の懸案が解消されるということは、地域にとっては最も歓迎すべき方向性だったようです。
本事業によって、大なり小なりマンション建設事業は地域と対立するものであるという常識が覆されました。コーポラティブハウスは地域と協調して事業を進める事ができる可能性もあることに気付かされました。


本事業での取り組みは、神戸新聞で紹介され、住宅流通新聞という業界紙でも、大きく取り上げられました。
そして、住宅金融公庫から、KANSAI優良団地賞を受賞しました。


住宅流通新聞:神戸北野町コーポラ事業(2003.5.9)
http://www.cube-3.co.jp/press_html/press_news_jutakuryutu2003.5.9.htm

神戸新聞:朝ドラ「風見鶏」ゆかりの地にコーポラハウス(2004.5.30)
http://www.cube-3.co.jp/press_html/press_news_kobe2004.5.30.htm




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