〇事業背景
長田区でも最高級の住宅地に位置し、約2700㎡程度と広い敷地の中に佇む大正12年築の洋館「槌橋邸」はかつて迎賓館としても使用された由緒ある 建物です。しかし、槌橋家の親族で共有されていた敷地を売却することになり、阪神淡路大震災で被災を受け、維持し続けるには大規模な修復を必要としていた洋 館は取壊しもやむなしと考えられていました。既に、洋館の取壊しを前提に、マンション建設用地として、あるディベロッパーと具体的な話が進んでいましたが、地権者 の一人である槌橋雅博氏が、この洋館を何とか残したいという思いで様々な人に相談をもちかけられました。 槌橋雅博氏はベルリン映画祭でヴォルフガング・シュタウテ賞特別賞を受賞された神戸在住の映画監督です。以前、神戸市の文化財課で洋館の保存修復をされていた方が槌橋雅博氏から相談を受け、コーポラティブ方式であれば何か良い方法が考えられるのではないかと考え、槌橋雅博氏と共にキューブを来訪されました。
この土地は約2700㎡程度と広い敷地でしたが法42条2項道路にしか接道しておらず、開発許可を前提とした事業計画が困難でした。接道条件的に神戸市の集合住宅協議にかけることもできないため、事業化の条件として総戸数を40戸未満にしなければならないという制約があり、従前のディベロッパーによるマンショ ン計画も、そ の前提で計画されていました。しかし、その制約があるからこそ、広い敷地を生かし従前の自然環境を残す事、また洋館を保存した上での事業化の可能性があると考 えました。
建築基準法上、基本的には1敷地1建物の原則があるので、洋館を残すためには新築する建物を増築扱いとし、従前建物と不可分の計画を行わなければなりませんい。しかし、木造建築物である従前建物を耐火建築物であるマンションと一体で計画する為には従前建物に大規模に手を入れざるを得ません。槌橋雅博氏は出来る 限り建築当初の状況に近い形で保存する事を望まれており、従前建物を出来る限りそのままの姿で保存して事業化する方法を神戸市に相談しました。神戸市は、保存しながら開発を行う意義を理解し、新制度である連担建築確認制度を適用することで、国の登録有形文化財として登録を予定している槌橋邸を 現状のまま残せる道を開いてくれました。
一方、洋館の位置付けを明確にするために、マンションは定期借地権分譲事業とし、敷地全体に定期借地を設定し洋館部分を自己借地して地主保有とすることで洋館とマンションの間の権利関係を整理する事ができるのではないかと考えました。
所有権分譲にすると洋館の取扱が非常に難しくなります。
洋館を槌橋雅博氏が所有すると全区分所有者の中で1件だけ異なる条件の世帯が発生し、将来的に他区分所有者と様々な部分で利害対立する可能性が生まれ、その際に決定的に他区分所有者の方が強い議決権を有する事になります。
洋館を管理組合の共有とすると、修繕維持への合意形成が一般的な分譲マンションにおいても難しいとされている中、築80年の木造建築物を適性に維持管理する為の合意形成を得ることはさらに難しいといえます。結果として維持管理水準が低くなり、従前洋館部分のみ取壊され全く異なる用途・形状に再建築されること にもなりかねません。この際、雅博氏がマンションを購入し1区分所有者となっていたとしても、洋館の良好な管理水準を維持する為に他区分所有者の合意を取り付ける事は容易な事ではありません。雅博氏と他区分所有者の間で利害対立が生じた場合、決定的に他区分所有者の方が強い議決権を有する状況になるのは同様です。
これらの問題が、定期借地権事業とすることで劇的に解消されます。洋館の保存や自然環境の保全に関る取り決め事は、定期借地の原契約に盛り込む 事で決定付けられます。この時、区分所有者による議決権よりも上位に定期借地権の原契約が存在している事が非常に重要です。議決権よりも上位の契約が存在する事ではじ めて多数決で改正されることのない取り決め事が有効となります。定期借地権であれば、借地の前提条件としてルールを設定できるのです。
また、槌橋雅博氏以外の地権者の意向から、早急に売買を確定させる必要があり、その為にはコーポラティブ方式ではなく、ディベロッパーを誘致して一般の定 期借地権分譲方式で事業化する必要があると考えました。そこで、定期借地権事業については、ミサワホームの定期借地事業開発メンバーで設立され、神戸定借バン ク等を監修し、自社でも分譲事業を行っている不動産オークション会社の㈱IDUに、「オンリーワンの選択肢として、この事業は必ず市場の支持を受ける事が出来るはず」と話を持ちかけたところ、大いに関心を持ち、当方の持ちこんだスキムで事業を進めることになりました。
〇事業転機
定期借地権事業として進めていくにあたり、他の権利者の協力を得る事が出来れば最も良かったのですが、雅博氏以外の権利者は権利を残す事への執着が無く、 雅博氏が他権利者の権利を一旦全て買取り、定期借地設定する時の一時金で買取り費用を相殺し、差額は融資を受けて地代収入等で弁済するスキムを組む事と なりました。融資の手当てはIDUが行うということで事業条件に雅博氏は納得し、他地権者の合意も取付け、いよいよ事業化するばかりとなりました。
ところが、ここで思わぬ問題が出てきました。雅博氏に他権利者から直接土地を譲渡し、雅博氏がすぐに地上権設定して一時金を得ると短期譲渡とみなされ課税対 象とされかねないという税務上の問題がある為、一旦全地権者がIDUに土地を売却した上で、底地部分を雅博氏が買戻す流れを設定していました。ところが土地の 売買契約をする際になって、IDUが、雅博氏の底地買取り資金の融資を手当てする事ができないと言い出したのです。結局、雅博氏自身も含め、関係者一同で 様々な金融機関を当ったものの協力を得る事ができず、雅博氏の底地買取りは不可能となり、結果として定期借地事業を諦めざるを得なくなってしまいました。
他地権者が早期の土地決済を望んでいたため、所有権分譲事業の中で洋館を残す方法を探り、事業を再構築せざるを得ない状況となりました。しかし、先述のよう に、一般分譲事業にすると洋館の管理方法が非常に難しくなります。そこで、洋館を雅博氏が所有し、敷地管理組合の下部にマンション管理組合と洋館管理者とが位 置するような二重構造の管理方法で処理する方法を提案しましたが、事業者サイドの理解を得ることができず適いませんでした。結局、単なる共用部分として洋館は位置付けられ、管理組合が所有し、管理組合の管理下におかれることになりました。将来の洋館の運命を、全て区分所有者の良心に期待せざるを得ない形になってしまっ たと言えます。
*)その後、キューブ顧問の戎正晴弁護士が入って槌橋氏とディベロッパーの間で再協議が行われ、洋館の2階の一部を槌橋氏が所有する事となりました。この事で、将来的に管理組合がいかなる決議を取ろうとも、容易に洋館を取壊したりする事ができない状況となりました。こ
の状況は各区分所有者に対して洋館のメンテナンスを良好に保たなければならないというモチベーションを維持するのに有効に働く事が期待できます。洋館を保存
する観点から見れば、当初の存続を含めたその運命を区分所有者の良心に期待するしかなかった状況から比較すれば、大きく改善されたといえます。
〇その後の事業展開
その後、諸事情よりIDUに変って㈱日本エスコンが事業主として、IDUは企画者として事業を行うことになりました。
この時点で、キューブは設計から外れ、洋館がマンションの付属施設となるのであれば可分性は不要との事業者の判断から、建築確認は連坦申請ではなく、増築 申請として処理される事になりました。増築申請となった事で、洋館部分はマンションのエントランスホール及び集会室という位置付けになり、耐火処理を様々に講 じる必要が出てきたため、サッシをアルミサッシの特殊防火設備に変える等、大規模に手が加えられる事となってしまいました。雅博氏は本事業の為に登録文化財の申請を行い、平成14年10月に槌橋邸は「槌橋家住宅主屋」として国の登録有形文化財として登録されました。しかし、結局原型から大幅に改変せざ るを得なくなってしまいました。
本事業は、当初の雅博氏の信念があったからこそ可能となった、保存と開発の共存する可能性を提示する画期的な事業です。にも かかわらず、土地の決済後はほとんど雅博氏の希望を事業に反映してもらう事ができず、完全に事業者主体で全てが判断され進められたと言わざるを得ず、結 局、雅博氏の考えていたイメージとは異なる事業となってしまった事は残念です。
〇最後に
以上のような経緯で、紆余曲折のあった事業ですが、 なんとかとりあえず洋館は残る形で事業化されました 。 本事業で実現する、保存と開発を両立させる事業手法は非常に大きな可能性を秘めていると考えています。この事業を進める中で考えていた、定期借地権を利用する事で権利関係を 整理し、文化財の保存と住宅開発を共存させる事業手法も、単に安く住宅供給を図るという意味以外での定期借地権の応用方法として非常に意義のあることであ ると感じています。キューブとしては今後とも様々な形でこのような事業に取組んで行きたいと考えています。
〇関連記事
・ 国の登録文化財-県公館など5件:毎日新聞2002年10月19日
・ 国の登録有形文化財-県公館など指定へ:産経新聞2002年10月19日
・ 国の登録文化財-県内から新たに5件:読売新聞2002年10月19日
・ フォトメモリー槌橋家住宅主屋:産経新聞2002年11月9日
・ 旧槌橋邸残った:産経新聞2002年11月29日
・ 大正の洋館マンションの入り口に:朝日新聞2003年5月22日
・ 大正の洋館保存し集合住宅玄関に 神戸・長田:神戸新聞2003年5月21日
〇槌橋様ご夫妻から頂いた言葉
槌橋雅博 槌橋貴子
本事業の生みの親である「キューブ」代表の天宅毅氏は、私達にとっては、あちらこちらに働きかけつつも行き詰まり、諦めかけていた洋館の保存を、現実のプ
ランとして具体化して頂いた方なので、少し大袈裟かもしれませんが「息絶えようとしていた異人館に突如舞い降りた救世主」のように思えてなりません。槌橋雅博 槌橋貴子
この事業、数多くのトラブルに道を阻まれながらも、なんとか洋館を100年単位の長期的視野にたっての保存・修復と維持・管理を行うことが可能になりつつあります。しかしながら、現在も文化財に理解の無いディベロッパーとの攻防が激しく続いており、予断を許しません。
天宅氏は、「文化財を保存しつつ、同地で新規住戸を開発する」という、前例の無い画期的な土地開発プランを自ら考案された方で、私としては、洋館の命の恩人だと思って感謝しております。このプロジェクトは、日本の土地開発の歴史に一石を投じるものになるでしょうが、ディベロッパーの都合で天宅氏は設計から 外れてしまったので、天宅氏が御自分の偉業に表立って足跡を残せなくなってしまった事は残念でなりません。
天宅氏は現在でも、私どもに専門家の見地からの様々なアドバイスを頂き、また、詐欺まがいのコンサルティング会社との交渉にも力を貸して下さっておりま す。天宅氏がいらっしゃらなければ、とうの昔に洋館は解体され、産業廃棄物として処分されてしまっていたでしょう。本当に有難い事だと思っております。
このような非常に骨の折れる無私の活動を続けておられる方が、文化財の為に密かに戦っておられる事によって、消え去ってゆくはずの貴重な建物が残っていく のだな、と感慨を深めております。世の中には人知れず静かに「凄い人」がいらっしゃいます。まだまだ捨てたものではありません。
この「長田の洋館」は、阪神淡路大震災の被害も最低限にしか補修しておらず、判る人が見るのでなければ、一見廃墟のようなボロボロの汚い建物としか目に映 らないかもしれません。しかし、一部崩れ落ちている建物であっても、それは大正時代の日本とヨーロッパの美を統合し洗練させて完成された、非常に優れた 「芸術作品」なのです。
たかが、「一軒のぼろ家」ですが、建築や美に対して理解のある人間からすれば、これはまさしく「本物のアート」に他なりません。この大切な芸術作品を後の世代に伝えることは、アーティストとしての「使命」だと考えて、私達は保存活動に力を注いできております。
この洋館は、昨年、「国指定登録文化財」である「槌橋家住宅主屋」となりました。ご協力頂いた全ての方に感謝致したいと思います。有難うございました。
まだこの事業は途中までしか来ておらず、保存の形態がはっきりと確定しておりません。今後も洋館を最も良い形で残していけるよう最大限努力して行きたいと思います。
皆様には、いずれまた詳しくご報告する機会を持ちたいと考えております。
2003年4月26日
0 件のコメント:
コメントを投稿