2012年7月8日日曜日

構造審査について

姉歯事件以後、構造設計を取り巻く環境が激変しました。
それが良い方向に向かっているのであれば喜ばしい事ですが、決してそうであるとは感じられず、現状に対して非常に強い危機感を感じています。
 

姉歯事件の本質的な問題は何だったのでしょうか?
私は、姉歯建築士という一人の構造設計者のモラル欠如と、モラルを欠如した構造設計者は存在しないという性善説前提で構築された申請システムにおける偽装チェック機能の不備だったと考えています。


建設事業を行う場合、事業主から設計者に対して無駄なコストを削減する圧力が常にかかるのは当然です。
一般の方でも、ご自宅を建築される際に、できる限り無駄を削減しようとされるのは当然の行為だと思います。
圧力という言葉に語弊があるのであって、無駄を削減することは事業主のニーズであると言うべきです。
事件当時、行き過ぎたコスト削減に対する圧力が、事件を誘発したというような指摘が数多く見られましたが、これは極端な見方であり、本質を見誤りかねないので注意が必要だと思います。
全ての構造設計者は、事業主のニーズに応えるべく、無駄なコストを削減して、合理化を図るように設計を工夫しています。しかし、偽造はしません。
それは、建築設計という、安全性を確保することを通じて利用者の命を預かっているという非常に大きな社会的責任を負った職能につく者として、当然守らなければならない最低限のモラルだと認識しているからです。
 

現在の構造設計は大きくコンピューターの構造解析プログラムに依存しています。構造解析プログラムは、国から認定を受けているものだけでも非常に多数存在します。本来、構造解析プログラムは同じ建築基準法上の制限をクリアするようにプログラムされているので、どのプログラムを使っても同じ結果が出てくるはずなのですが、プログラムのアルゴリズムによって結果に差異が生まれます。その差異のレベルまで配慮して最も合理的な方法で構造設計するように工夫しているのが構造設計の現場の実情です。その為、計画内容に応じて、合理化を図るのに相性の良いプログラムを使い分ける事は一般的に行われています。さらに、構造解析プログラムは常にバージョンアップが繰り返されており、同じ構造解析プログラムでも、バージョンが異なると結果が異なる場合もあります。コンピューターの精度が上がれば上がるほどに、ニーズに応えるべく限界まで合理化設計することになるので、プログラムの癖が大きな要素となります。しかし、これは建物の安全性を図る上では非常に小さな要素であり、現実に安全性を左右するものではありません。そもそも、建築物は現場で手作りで作られるものなので、コンピューターの中のように、完璧な状態で作られることは現実的にはあり得ないからです。

 

姉歯事件は、このような背景の中、ブラックボックス化しているコンピューターの構造解析プログラムの出力データを改竄することにより、引き起こされました。出力データが改竄できるような状況でプログラムが認定されていたという事は、構造設計者の理性を全面的に信頼した上で制度設計がなされていた事の証ですが、姉歯設計士は世の中には理性を保つことができない構造設計士が存在することを知らしめました。

 

その後、全国規模で構造設計のチェックがなされましたが、姉歯建築士のように、大量に偽装工作を行う事例はほとんど見つかりませんでした。一方で、入力ミスによる耐震性能不足の案件が見つかりました。これらから、ほとんどすべての構造設計者は真面目に理性を保って設計活動をしていることが確認できたのと同時に、構造解析プログラムへの入力作業は手作業なので、設計者が注意を傾け、建築確認の審査でチェックしても、ヒューマンエラーを100%無くすことはできないことがわかりました。

 

そこで、耐震性に問題がある場合社会的影響力の大きい、ある一定以上の規模の建築物に関しては、適合判定という第三者によるチェックが行われるようになりました。

 

ここまでの流れは、適切な対応だったと思います。
ところが、運用面において、本来の目的とは異なる現象が生まれました。
本来、適合判定は偽装チェックと、入力ミスのチェックが目的だったはずです。
しかし、第三者チェックをする段階で、確認申請では求めていなかった検証を行わなければならない状況が生まれました。
基本的に確認申請を審査機関が審査した時点で、基本的な問題は解消されています。その計画を、第三者チェックをする際に、チェックする適合判定員の存在意義を示す為に、確認申請では求められない検証を求めるようになったのです。指摘事項がなければ、適合判定員が本当にちゃんとチェックしているかどうかわからないので、チェックしている事を示すために詳細検証を指示することで、適合判定員が仕事をしている「ふり」をするようになってしまったのです。これは本来の適合判定の目的とは全く異なる状況です。


指摘内容に設計者が対応すれば、さらに適合判定員の存在意義を示すために何か言わなくてはならなくなり、結果として指摘内容はより詳細になり、この繰り返しによって構造設計者が検証しなければならない事項が自己増殖し、膨大な量に膨れ上がることとなりました。現在の構造設計者の業務は、この膨大な検証作業に大きな負担を割かれています。


適合判定による第三者チェックにおいて、このような詳細検証をしなければならない理由は何なのでしょうか?繰り返しになりますが、姉歯事件とは姉歯建築士という一人の構造設計者のモラル欠如と、モラルを欠如した構造設計者が構造偽装することを未然に防止できなかった事が問題だったはずです。構造設計における詳細の検証が不足していたわけではありません。姉歯事件までの構造設計内容が検証不足で、それによって重大な問題が社会的に発生していたのでしょうか?東北地震によって、適合判定による第三者チェックを受けなかった建物は甚大な被害を受けたのでしょうか?いいえ、そのような被害は全く報告されていません。


構造設計は、阪神・淡路大震災後、大きく改正されました。
阪神・淡路大震災では、基本的に新耐震設計で建設された建築物の被害は軽微であり、旧耐震設計で建設された建築物の被害が甚大であったことは知られています。新耐震設計の中でも、ピロティー形式の建物の一部に大きな被害が出たことから、それらを踏まえた改正がなされました。その時も、現在構造設計の現場で検証しているような詳細内容における検証不足が、構造的に大きな被害を生んだという話は聞いたことがありません。現在、一体誰の為に、何のための膨大な検証作業を構造設計者はしているのでしょうか?

 

私は検証の為の検証に陥っているような気がしてなりません。
私自身は構造設計者ではありません。しかし、構造設計者の実務の現場を見ていると、そのような状況に構造設計者が限界まで疲弊しているように見えます。
その結果、構造設計を辞め、審査機関に転職して、審査官になる話を良く聞きます。また、検証作業の煩わしさから、単純で簡単な設計でなければ対応しない構造設計者が増えています。
斬新な考え方をしようものなら、検証作業につぶされてしまいます。
審査官によって指摘内容に大きく幅があるのも問題です。
その為、できるだけ検証作業を求めない審査官に見てもらえるように、審査官の出勤日を調べて提出することも、構造設計者の間では一般的に行われています。

 

本来、建築基準法で要請している内容について、間違いないか確認するのが建築確認申請を見る審査官の仕事のはずです。ヒューマンエラーは必ず起こるものです。そのようなヒューマンエラーを発見する為に、いろいろな目でチェックする事は必要なことでしょう。ところが、適合判定の導入に伴い、基準や判断が審査現場の裁量に依存することで、自動的に審査内容が自己増殖し、厳格化されていく制度となってしまっています。

 

木を見て森を見ずという言葉があります。
無駄な検証作業に忙殺されることで、結局単純で大きな部分でヒューマンエラーが起こりやすくなっているとは言えないでしょうか?果たして、こんな事で日本の建築物の安全性が向上していると言えるのでしょうか?
今や、構造設計者のクリエイティビティーを生かす機会は風前の灯です。
独自性を持った構造設計をしようものなら、検証作業の嵐につぶされてしまいます。もはや我が国に木村俊彦氏のようなスター構造設計者が生まれる余地は皆無でしょう。現在、日本の構造設計を取り巻く環境は末期的な様相を呈してきているように見えます。

 
おそらく、日本の構造解析能力は世界最先端だと思います。
それは地震国日本で培われてきた経験と、コンピューター技術の賜物だと思います。施工者の真面目さもあり、中国や韓国で報道されているような、自然倒壊するような建物は日本に皆無です。しかし、姉歯事件を機に設けられた様々な規制は、本質的でない部分で審査制度を肥大化させ、現在日本の構造設計を急速にガラパゴス化させつつあるように感じます。このことは、日本の経済活動を、静かに、そして大きく蝕んでいます。
 

何故、問題が生じたときに、本質的な問題点を見極め、ピンポイントで対処することが日本人はできないのでしょうか?3.11以後、構造設計を取りまく危機的状況は、構造設計だけでなく、日本の社会全体にも同様の傾向があるような気がしています。日本人は、自分で自分の首を絞めていることに無自覚すぎるように感じるのは私だけでしょうか?

 

姉歯事件以後、適合判定の導入以外に、偽装に対する厳罰化、構造一級建築士制度の導入や、一級建築士講習の法制化がなされました。偽装に対する厳罰化は当然です。しかし、構造一級建築士制度の導入や、一級建築士講習の法制化に何の意味があるのでしょうか?試験を受けたり、講習を受けたりすることで、構造設計者のモラル欠如を防ぐことができるのでしょうか?これら制度を実施する為に、また新たな外郭団体が結成され、官僚の天下り先が増えていきます。一体いかなる問題に対処する為に、姉歯事件以後の制度改正がなされたのでしょうか?
 

あまりにも適合判定が進捗しない事で、日本全体の建設産業に打撃を与え、社会的問題になった事で、国土交通省から通達が出され、審査の迅速化が図られるようになりました。しかし、構造設計者の検証作業が膨大であることは今でも改善されていません。
姉歯事件で、何故構造基準を厳しくする必然があるのでしょうか?
姉歯事件と、当時の構造基準の妥当性との間には、何の関係もありません。
当時の構造基準を守っていて、安全性に問題が生じるという話は一切ありませんでした。
にもかかわらず、何の為に構造基準を厳しくしているのでしょうか。
合理的な理由なく、単に適合判定という第三者によるチェック制度を導入したことにより、審査官が仕事をしている「ふり」をするために、結果として基準が厳しくなってしまっているだけではないでしょうか。
見かけ上の審査期間を短く見せかける為に、審査終了前に一旦申請を取り下げ、再申請することで審査期間が短くなるように見せかける行為が行われています。
これこそが、状況を隠蔽する偽装工作と言えるのではないでしょうか?
 



日本には、1981年以前に建設された、旧耐震基準で建設されたストックが膨大にあります。旧耐震基準で建てられた建物の中には、姉歯事件で耐震性能が確保できていないとされた建物よりもさらに耐震性能が劣るものも少なくありません。これらが速やかに建替えられなければ、街としての耐震性能は向上しません。しかし、あまりに過剰な構造基準は、このような動きを止めてしまい、結果として街としての耐震性能向上を止めてしまっています。


 
これから日本の人口は急速に減少し、2050年には8000万人台になることも予想されています。これだけ急速に人口減少するのですから、当然に経済規模も縮小することが予想されます。そのような社会状況下において、無意味な構造基準厳格化は街の耐震性能向上の動きを止めてしまい、結果として将来の震災時における被害を拡大させることに繋がっていると言えるのではないでしょうか。


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